百道松風園~終戦と子どもたち~
開催期間 | 平成27年7月22日(水)~9月27日(日) |
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関連イベント |
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講演会①「終戦と子どもたち~聖福寮と松風園~」 日時:平成27年7月25日(土)14:00~15:00 講師:下関短期大学 高杉志緒 准教授 講演会②「戦後70年目の証言~未来へのメッセージ~」 日時:平成27年8月29日(土)14:00~15:00 講師:元芙蓉部隊 艦上爆撃機「彗星」搭乗員 坪井 晴隆 氏 (筑前町立大刀洗平和記念館 山本寛 館長との対談) |
内容
平成27年7月22日(水)から9月27日(日)まで、平成27年度第1回企画展「百道松風園~終戦と子どもたち~」を開催しました。
平成27年は戦後70年の節目に当たり、戦争にまつわる報道、出版、展示などに触れる機会も多かった年です。
当館では、終戦の翌年から戦争孤児などの保護活動を行った「百道松風園」の関連資料約90点(公文書、写真、日誌など)を所蔵しており、これらを中心に、松風園設立のきっかけともなった、終戦後の子どもたちの姿に焦点を当てた展示を行いました。
終戦後、外地から博多港へ引揚げてくる人々の中には、引揚げ以前あるいは引揚げの途中で、親を亡くした子どもたちがいました。
昭和21年7月、百道松風園は、そのような孤児たちを一時的に保護収容し、縁故先の照会を行う施設として設置されました。
同年11月までに、約750名の引揚孤児を保護し、引取先へと送り出した松風園は、12月から新たに「浮浪児収容一時保護所」としての活動を開始します。当時の街にいた戦争孤児や家出少年たちを保護収容し、養育を行う施設となりました。
(写真:松風園外観 昭和23年頃)
家庭を失くし、街頭で生活を送っていた子どもたちに、食事や就寝等の基本的生活習慣を取り戻してもらうため、松風園ではまず、規則正しい生活をさせることに努めました。
(写真:食事をとる子どもたち 昭和23年頃)
当初は集団生活になじめず、脱走を繰り返した子どもたちも、徐々に松風園生活に慣れていきます。子どもたちは、松風園を「一家」とみなして、職員を「兄さん」「姉さん」と呼びました。
(写真:就寝風景)
昭和23年、西新小学校分校設置が認可され、園内で正式な義務教育課程が実施されました。この分校は、昭和30年には百道小学校松風園分校、31年には百道小学校松美分校と校名を変更しながら、昭和52年まで存続しました。
(写真:西新小学校園内分校での授業風景 昭和23年頃)
松風園には、様々な人が視察や慰問に訪れました。
(写真:「フラナガン神父来園」昭和22年5月5日)
「マッカーサー米駐日大使夫人来園」(昭和32年9月)
引揚孤児引渡事蹟
福岡県社会課 昭和21年(1946)
資料番号:1-1-0021077、1-1-0021079、1-1-0021080
昭和21年に引揚孤児の保護収容を行った百道松風園、和白青松園、聖福寮の3施設が取り扱った、引揚孤児の引渡し記録です。
孤児一人一人の身上調査書、縁故者照会の書類、引渡しの際の提出書類等が綴られています。
外地引揚孤児援護取扱系統図
福岡県 昭和21年(1946)7月頃
資料番号:1-1-0021087「引揚孤児関係事蹟」
引揚孤児援護業務が開始された頃の業務系統図です。
博多引揚援護局にたどり着いた引揚孤児について、それぞれの状況に応じて、どの施設でどのような措置を受けるのかを示したもので、百道松風園はこの系統図の中央に位置しています。
子どもたちは、いったん松風園に入り、一か月間縁故者探しを行い、その後縁故者に引き取られたり、長期間の養育を行う和白青松園に入園したりしました。
天皇陛下行幸関係事蹟
福岡県百道松風園 昭和24年(1949)
資料番号:1-1-0021098
昭和24年5月19日~21日、28日~29日、6月10日に行われた昭和天皇の九州行幸において、第3日目となる5月21日の訪問先に百道松風園が選ばれました。
奏上された概況書に「本施設は、元県立傷痍軍人職業補導所の跡を利用しまして昭和21年7月満州引揚集団孤児の収容保護を始めましたのが起源でありまして(略)」とあります。
日誌(2号~4号)
福岡県百道松風園
1-1-0021115、1-1-0021116、1-1-0021114
昭和22年(1947)~昭和24年(1949)
松風園の日々の記録を綴った日誌です。
その「感想」欄には、子どもたちの成長に喜んだり、時に指導や対応の方法に悩んだりしながら、子どもたちの成長を見つめ続けた職員の心情が記されています。
(抜粋)
【昭和22年8月13日(水)】
全国中等学校野球大会開催。
実況・放送あり。
子供たちは、ラジオの前からはなれず、熱心にききいっている様子。
これからどんどんと野球熱が盛んとなることであろう。
又、それと同等に我々はこのチャンスを見逃さず、伸しゆく教育でなければならぬと思う。
【昭和22年8月30日(土)】
人間はおかしなもので、その場に臨まねばなかなかやろうとしないものである。
最近夜遅くまでも、子どもが勉強している。休みの最後の頑張りであろうか。この様な気持ちに至った事は喜ばしい事である。
早く寝なさいとは言いつつも、よくやる様になったと心の陰では喜んで見るのである。