公文書でめぐる鉄道の旅~近代の福岡~
開催期間 | 平成29年11月18日(土)~1月28日(日) |
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場 所 | 福岡共同公文書館 1階展示室及びロビー |
内容
平成29年11月18日(土)から平成30年1月28日(日)まで、開館5周年記念特別展「公文書でめぐる鉄道の旅~近代の福岡~」を開催しました。
本展示では、戦前期の県内における鉄道・軌道許認可に関する文書群を中心に、石炭産業や都市の形成で広がりを見せた福岡県内の鉄道を紹介しました。
また、今回は国立公文書館や福岡県立図書館が所蔵する資料も展示しました。資料の借用及び使用にあたり、多大なご協力をいただき、誠にありがとうございました。
【鉄道が走った日~九州鉄道の発展~】
明治5年(1872)10月に、新橋-横浜間で日本初の鉄道が開業し、明治15年(1882)頃からは九州にも鉄道を敷設しようという動きが本格化していきました。
そのような中、明治19年(1886)に知事に着任した安場保和は、民間資本による九州鉄道の設立申請を国に提出し、許可を得ることに成功します。九州で初めて鉄道が走ったのは、明治22年(1889)12月のことでした。開業当時、博多-久留米間の上下線が1日3本、所要時間は1時間23分だったとされています。
その後、九州鉄道は延伸工事を進め、明治24年(1891)7月に門司-八代間が全通し、九州を縦に貫く鹿児島本線のルーツが姿を現しました。このほかにも、路線網の拡大や他社との合併・買収により北部九州一帯に路線を張り巡らせていきましたが、明治39年(1906)に公布された「鉄道国有法」により、明治40年(1907)に国有化されました。
(画像上)
九州鉄道の免許
「九州鉄道ヲ設立シ鉄道布設運輸ノ業ヲ営ムヲ免許シ其用地ハ国税ヲ免除ス」
(画像下)
鉄道国有法の御署名原本(レプリカ)
「鉄道国有法 御署名原本 明治三十九年 法律第十七号」
※いずれも国立公文書館からの借用資料
明治5年(1872)10月に、新橋-横浜間で日本初の鉄道が開業し、明治15年(1882)頃からは九州にも鉄道を敷設しようという動きが本格化していきました。
そのような中、明治19年(1886)に知事に着任した安場保和は、民間資本による九州鉄道の設立申請を国に提出し、許可を得ることに成功します。九州で初めて鉄道が走ったのは、明治22年(1889)12月のことでした。開業当時、博多-久留米間の上下線が1日3本、所要時間は1時間23分だったとされています。
その後、九州鉄道は延伸工事を進め、明治24年(1891)7月に門司-八代間が全通し、九州を縦に貫く鹿児島本線のルーツが姿を現しました。このほかにも、路線網の拡大や他社との合併・買収により北部九州一帯に路線を張り巡らせていきましたが、明治39年(1906)に公布された「鉄道国有法」により、明治40年(1907)に国有化されました。
(画像上)
九州鉄道の免許
「九州鉄道ヲ設立シ鉄道布設運輸ノ業ヲ営ムヲ免許シ其用地ハ国税ヲ免除ス」
(画像下)
鉄道国有法の御署名原本(レプリカ)
「鉄道国有法 御署名原本 明治三十九年 法律第十七号」
※いずれも国立公文書館からの借用資料
【炭都と鉄道~運炭鉄道の開業~】
筑豊では明治期に入り、急速に炭鉱開発が進んでいました。掘り出された石炭は遠賀川の水運を利用して輸送されていましたが、採炭量の増大とともに船での輸送が限界を迎えつつあったことから、明治22年(1889)7月、福岡県で2番目の鉄道会社となる筑豊興業鉄道が発足しました。
また、次いで設立された豊州鉄道も運炭を担った鉄道でした。
(画像)1-2-0013000「明治25年度 鉄道係スル事績」(飯塚市公文書)
筑豊では明治期に入り、急速に炭鉱開発が進んでいました。掘り出された石炭は遠賀川の水運を利用して輸送されていましたが、採炭量の増大とともに船での輸送が限界を迎えつつあったことから、明治22年(1889)7月、福岡県で2番目の鉄道会社となる筑豊興業鉄道が発足しました。
また、次いで設立された豊州鉄道も運炭を担った鉄道でした。
(画像)1-2-0013000「明治25年度 鉄道係スル事績」(飯塚市公文書)
【炭都と鉄道~昭和初期の直方の風景~】
直方市には、筑豊興業鉄道の最初の本社が置かれ、石炭輸送のための鉄道網が整備されました。
(画像上)直方駅構内
(画像中)直方駅前
(画像下)直方の町並み
直方市には、筑豊興業鉄道の最初の本社が置かれ、石炭輸送のための鉄道網が整備されました。
(画像上)直方駅構内
(画像中)直方駅前
(画像下)直方の町並み
【戦前の県内鉄道事情~福岡県の鉄道公文書~】
近代の福岡県には大小さまざまな鉄道(軌道)会社が存在していました。鉄道敷設の申請は、県を経由して国に提出されたので、福岡県公文書の中には鉄道に関する公文書が多く残っています。
「軌道許認可」、「地方鉄道許認可」というタイトルで整理された資料は200冊以上あり、県内で開業した鉄道の許認可に関する記録のほか、短期間で廃止されたり、計画だけで終わってしまった鉄道、軌道の資料も含まれています。
近代の福岡県には大小さまざまな鉄道(軌道)会社が存在していました。鉄道敷設の申請は、県を経由して国に提出されたので、福岡県公文書の中には鉄道に関する公文書が多く残っています。
「軌道許認可」、「地方鉄道許認可」というタイトルで整理された資料は200冊以上あり、県内で開業した鉄道の許認可に関する記録のほか、短期間で廃止されたり、計画だけで終わってしまった鉄道、軌道の資料も含まれています。
【戦前の県内鉄道事情~西鉄大牟田線のルーツ~】
九州鉄道は後に西日本鉄道株式会社となる鉄道会社の一つです。大正13年(1924)に福岡-久留米間を開通させ、昭和9年(1934)には二日市-太宰府間を結んでいた太宰府軌道を合併し、昭和14年(1939)に福岡-大牟田間が全線開通しました。
※この「九州鉄道」は、明治期に国有化された九州鉄道とは別の会社です。
(画像)
九州鉄道の路線図(1-1-0023884「軌道許認可」(福岡県公文書)より)
九州鉄道は後に西日本鉄道株式会社となる鉄道会社の一つです。大正13年(1924)に福岡-久留米間を開通させ、昭和9年(1934)には二日市-太宰府間を結んでいた太宰府軌道を合併し、昭和14年(1939)に福岡-大牟田間が全線開通しました。
※この「九州鉄道」は、明治期に国有化された九州鉄道とは別の会社です。
(画像)
九州鉄道の路線図(1-1-0023884「軌道許認可」(福岡県公文書)より)
【戦前の県内鉄道事情~福岡-柳河間開通~】
昭和12年(1937)10月、九州鉄道延長線 津福-柳河間が営業開始したことにより、福岡-柳河間の路線がつながりました。開通直前の8月31日付で作成された九州鉄道のポスターには、乗車券や定期券など、新運賃の記載があります。
(画像)
津福柳河間新賃金御案内(1-1-0023886「軌道許認可(九州鉄道)」(福岡県公文書)より)
昭和12年(1937)10月、九州鉄道延長線 津福-柳河間が営業開始したことにより、福岡-柳河間の路線がつながりました。開通直前の8月31日付で作成された九州鉄道のポスターには、乗車券や定期券など、新運賃の記載があります。
(画像)
津福柳河間新賃金御案内(1-1-0023886「軌道許認可(九州鉄道)」(福岡県公文書)より)
【エントランス展示①】
昭和11年(1936)に作成され、その後数年にわたって更新された「軌道地方鉄道台帳」(1-1-0023884「軌道許認可」(福岡県公文書))から、廃止路線や未成線を含む昭和10年代の福岡県内の路線図を紹介しました。
昭和11年(1936)に作成され、その後数年にわたって更新された「軌道地方鉄道台帳」(1-1-0023884「軌道許認可」(福岡県公文書))から、廃止路線や未成線を含む昭和10年代の福岡県内の路線図を紹介しました。
【エントランス展示②】
来館者参加企画として、鉄道にまつわる写真を自由に貼り付けて展示できるスペースを設けました。
来館者参加企画として、鉄道にまつわる写真を自由に貼り付けて展示できるスペースを設けました。