近代福岡の公共建築物―移り変わるまちの記憶―
開催期間 | 平成31年2月5日(火)~3月20日(水) |
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場 所 | 福岡共同公文書館 1階展示室 |
関連イベント |
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講演会「福岡・北九州の近代化遺産~都市の発展と地域を彩る各種産業~」 (講師:市原猛志氏(九州大学大学文書館・協力研究員)) 講演会「近代日本の府県庁舎―旧福岡県庁をめぐる建築資料と歴史資料―」 (講師:渡部邦昭氏(九州歴史資料館・学芸員)) 日時:平成31年2月23日(土)13:30~16:30 |
内容
福岡県内には、旧福岡県庁舎(大正4年(1915)竣工)をはじめとする西洋風の近代建築や、石炭・鉄鋼の産業化を象徴する施設が数多く作られ、“まちの顔”として親しまれてきました。本企画展では、明治期以降の福岡が近代的な都市として成長していく様子を、公共建築物を中心に当時の絵はがきや地図、設計図面、歴史公文書などの資料からご紹介したものです。
企画展の開催にあたっては、九州歴史資料館、九州大学大学文書館、北九州市立文書館、福岡県公園街路課からのご助力を賜り、貴重な資料を快くご提供いただきました。記して謝意を表します。
【県内の近代化遺産】
近代化遺産とは、社会の近代化にともなって生み出され、現在に遺されたもので、その歴史的価値により遺産に値すると認められたものをいいます。代表的なものでは、官営八幡製鐵所(北九州)や石炭関連施設(筑豊・筑後)などが挙げられます。ここでは絵はがき、鳥瞰図、写真パネルを用いて、主だった県内の近代化遺産をご紹介しました。
画像:展示風景(絵はがき、鳥瞰図ほか(九州歴史資料館蔵))
近代化遺産とは、社会の近代化にともなって生み出され、現在に遺されたもので、その歴史的価値により遺産に値すると認められたものをいいます。代表的なものでは、官営八幡製鐵所(北九州)や石炭関連施設(筑豊・筑後)などが挙げられます。ここでは絵はがき、鳥瞰図、写真パネルを用いて、主だった県内の近代化遺産をご紹介しました。
画像:展示風景(絵はがき、鳥瞰図ほか(九州歴史資料館蔵))
【福岡県庁いまむかし】
現在、東公園(福岡市博多区)にある福岡県庁舎は、当初は福岡城内に置かれていました。その後、天神町に移転してからは、庁舎の老朽化やスペース不足などにより、数度の増改築がなされました。福岡県庁の「いまむかし」は、戦前期の絵はがきや皇太子(のちの昭和天皇)行啓に関する公文書、戦後の跡地利用に関する新聞記事スクラップなどから、その一端をうかがうことができます。
画像:展示風景(絵はがき(九州歴史資料館蔵)、「辞令原簿」、「行啓ニ関スル事蹟」(ともに当館蔵)ほか)
現在、東公園(福岡市博多区)にある福岡県庁舎は、当初は福岡城内に置かれていました。その後、天神町に移転してからは、庁舎の老朽化やスペース不足などにより、数度の増改築がなされました。福岡県庁の「いまむかし」は、戦前期の絵はがきや皇太子(のちの昭和天皇)行啓に関する公文書、戦後の跡地利用に関する新聞記事スクラップなどから、その一端をうかがうことができます。
画像:展示風景(絵はがき(九州歴史資料館蔵)、「辞令原簿」、「行啓ニ関スル事蹟」(ともに当館蔵)ほか)
【県内の都市公園】
近代的な意味での公園の起源は、明治6年(1873)に遡ります。「太政官布告第16号」(同年1月15日)では、人々が集まり遊覧鑑賞する場所を「公園」と定めています。県内の公園でも、美しい桜や河畔の風景は絵はがきに採用され、多くの人々を魅了してきました。ここでは昭和4年(1929)に開園した大濠公園の設計図や計画書などを展示し、往時の様子を振り返りました。
画像:展示風景(「福岡県営公園 東公園 総記」(当館所蔵)ほか)
近代的な意味での公園の起源は、明治6年(1873)に遡ります。「太政官布告第16号」(同年1月15日)では、人々が集まり遊覧鑑賞する場所を「公園」と定めています。県内の公園でも、美しい桜や河畔の風景は絵はがきに採用され、多くの人々を魅了してきました。ここでは昭和4年(1929)に開園した大濠公園の設計図や計画書などを展示し、往時の様子を振り返りました。
画像:展示風景(「福岡県営公園 東公園 総記」(当館所蔵)ほか)
【倉田謙の設計図面】
写真は、九州帝国大学工学部本館(左)と門司市役所庁舎(右)の図面です。いずれも昭和初期に、九州帝国大学建築課長を務めた建築家・倉田謙により設計されました(竣工はともに昭和5年(1930))。二つの図面からは、同一人物のほぼ同時期の設計であるため、外観や意匠の類似性がみて取れます。
画像:展示風景(九州帝国大学工学部本館新築設計図(複製)(九州大学大学文書館蔵)、門司市役所庁舎設計図面(北九州市立文書館蔵))
写真は、九州帝国大学工学部本館(左)と門司市役所庁舎(右)の図面です。いずれも昭和初期に、九州帝国大学建築課長を務めた建築家・倉田謙により設計されました(竣工はともに昭和5年(1930))。二つの図面からは、同一人物のほぼ同時期の設計であるため、外観や意匠の類似性がみて取れます。
画像:展示風景(九州帝国大学工学部本館新築設計図(複製)(九州大学大学文書館蔵)、門司市役所庁舎設計図面(北九州市立文書館蔵))