開館10周年記念特別展第1弾「お金で見る福岡の時代の流れ」
開催期間 | |
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場 所 | 福岡共同公文書館 1階展示室 |
内容
【Web展示】開館10周年記念特別展第1弾
お金で見る福岡の時代の流れ
福岡共同公文書館は、今年令和4年で開館10周年という節目の年を迎え、収集した歴史公文書も13万冊を超えるに至りました。そうしたことから、今一度原点を見つめ直す意味で「公文書とは何か」を考えてみますと、それは地方公共団体の「行政運営の歴史」であり、かつ税金を財源として実施された「公共サービスの事蹟」でもある、ということになります。
今回の特別展では、この「税金」、つまり行政運営に使われた「お金」に焦点をあてました。明治から令和に至る時の流れの中で、時代を象徴するような特徴的な施策にどれだけのお金が投入されたのか、残された公文書からその記録を紹介いたします。
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各時代の公文書
今回の特別展の本題に入る前に、当館で扱う「公文書」というものについてご紹介します。
現在は、書類作成といえば「文書作成ソフトウェア」を用いますが、パソコンが登場する以前は「手書き」が一般的でした。
公文書作成に使われた文房具・道具とともに、明治から平成まで、各時代の特徴が垣間見れるような文書を紹介します。
公文書作成に使われた文房具・道具
▼筆と墨(明治~大正~昭和) | ▼ペンとインク(明治~大正~昭和) |
▼和文タイプライター(大正~昭和) | ▼謄写版(ガリ版)(明治~大正~昭和) |
▼和文タイプライター(大正~昭和) | ▼謄写版(ガリ版)(明治~大正~昭和) |
公文書の変遷
▼明治時代の公文書 | ▼大正時代の公文書 |
(左)明治時代の公文書 『辞令原簿(雑吏一種)』(福岡県公文書)
(右)大正時代の公文書 『雑綴』(福岡県公文書)
▼昭和時代の公文書 | ▼平成時代の公文書 |
(左)昭和時代の公文書 『町字の設定変更』(福岡県公文書)
(右)平成時代の公文書 『CCZ 背後地整備基本計画策定業務報告書綴』(築城町公文書)
明治・大正時代
▼第2期筑後川改修事業① | ▼第2期筑後川改修事業② |
昭和29年度 第2期筑後川改修事業 福岡県:476,000円
『明治29年度筑後川治水工費内訳簿』(福岡県公文書)より
筑後川は昔から『筑紫(ちくし)次郎(じろう)』とも呼ばれ、『坂東(ばんどう)太郎(たろう)』の利根川、『四国(しこく)三郎(さぶろう)』の吉野川と並んで、『日本三大暴(あば)れ川(がわ)』の一つに数えられるほど洪水の多い川でした。
筑後川の治水事業は明治20年に国の直轄(ちょっかつ)事業(じぎょう)となり、それ以来大小さまざまな工事が行われて現在に至ります。第2期改修工事は明治22年の大洪水をきっかけに、明治29年から8年かけて、流水量を調節するための放水路や、堤防、水門などが整備されました。
▼陸軍特別演習
大正5年度 陸軍特別大演習 福岡県:169,137円
『特別大演習日誌及関係事蹟(大演習書類)』(福岡県公文書)より
特別大演習は、日本の旧陸軍において天皇統監(とうかん)のもとにほぼ毎年行われた大規模な軍事訓練です。第1回は明治25(1892)年に栃木県宇都宮地方で行われ、それ以後全国各地を巡り、明治44(1911)年には福岡県の久留米地方でも行われました。
大正5(1916)年の大演習は福岡地域で行われ、旧県庁舎が大本営(だいほんえい)となりました。そして、天皇と大勢の来賓(らいひん)が一定期間滞在するため、特別大演習は単なる軍事訓練にはとどまらず、県下の官民挙げての接待が必要でした。
昭和時代:初期~戦後復興期
▼主基斎田
昭和3年度 主基斎田 福岡県:123,497円
『主基斎田事蹟 十七冊ノ九』(福岡県公文書)より
昭和3(1928)年11月、昭和天皇の即位の礼と大嘗祭(だいじょうさい)が挙行されました。新しい天皇の誕生を宣言するこの一連の儀式を、『御大礼(ごたいれい)』または『御大典(ごたいてん)』と呼んでいます。
また大嘗祭で用いる新穀(しんこく)(新米)を栽培する場所が『斎田(さいでん)』ですが、京都より東から1ヶ所、京都以西から1ヶ所選ばれるようになっています。東の斎田は『悠(ゆ)紀(き)斎田(さいでん)』、西の斎田は『主基(すき)斎田(さいでん)』と呼ばれ、昭和の主基斎田には、福岡県早良郡脇(わき)山(やま)村(現福岡市早良区脇山)が選ばれました。
▼時局対策費 | ▼戦没者慰霊祭費 |
(左)
昭和14年度 時局対策費 筑紫郡大野村:550円
『昭和14年度予算書綴』(大野城市公文書)より
(右)
昭和27年度 戦没者慰霊祭費 飯塚市:399,275円
『飯塚市歳入歳出決算書 財政課』(飯塚市公文書)より
昭和12(1937)年、『盧(ろ)溝(こう)橋(きょう)事件(じけん)』をきっかけに日中戦争(支那(しな)事変(じへん))が始まります。これは東アジアにおける、第二次世界大戦への導火線とも言われ、以後昭和20(1945)年の世界大戦終結まで、日本は戦時色一色に染まります。地方の小さな町や村もそれなりの予算を組み、大日本帝国の末端(まったん)組織として、協力体制を敷きました。
また、大戦終結後も、各自治体では通常の行政事務に加えて、戦没者やその遺族、傷病者、引揚者への援助、国家補償の手続きや戦没者慰霊事業などにも力を注ぎました。
昭和時代:高度経済成長期
▼産炭地域開発就労事業 | ▼公害関係予算 |
(左)
昭和45年度 産炭地域開発就労事業 嘉穂郡桂川町:54,474,000円
『産炭地域開発就労事業実績報告書(昭和45年度)』(桂川町公文書)より
昭和35(1960)年前後から、日本は『高度経済成長期』に入ります。しかし『石炭から石油へ』というエネルギー革命も同時に到来し、国内の多くの炭鉱が閉山への道を辿ります。筑豊をはじめとする県内の産炭地も同様で、街には失業者があふれ、経済は深刻な打撃を受けました。
各自治体が国からの補助金を受けて経済立て直しを図るなか、福岡県も産炭地振興のための大型予算を組み、自動車産業や大学の誘致、工業団地の造成や道路整備などを通じて地域経済の復興に力を注ぎました。
(右)
昭和59年度 公害関係資料 福岡県:35,559,371,000円
『全国公害行政協議会 1』(福岡県公文書)より
産炭地が経済不況にあえぐ一方、『高度経済成長』の波に乗って商業化、工業化が進む地域も現れました。
しかし時代の風潮とは言え、あまりにも経済優先の考えはどこかひずみを生じやすく、特に重化学工業の発達した地域では環境への負荷が大きくなりました。大気汚染、水質汚濁(おだく)、土壌汚染、騒音などの『公害』が発生し、人間の生活と経済発展のどちらを優先させるのか、厳しいせめぎあいが続きました。
平成時代
▼情報公開・個人情報保護費 | ▼次世代育成支援行動計画費 |
(左)
平成28年度 情報公開・個人情報保護費 春日市:241,879円
『議会請願書』(春日市公文書)より
(右)
平成26年度 次世代育成支援行動計画費 福岡県:86,968,120,000円
『福岡県次世代育成支援行動計画「出会い、子育て応援プラン」』(福岡県行政資料)より
戦後、あらゆる分野で改革が行われましたが、それでも『行政組織が持つ情報の開示』という概念が生まれるまでには、戦後民主主義の一定程度の成熟を必要としたようです。
昭和も後期になってから情報公開制度を模索する動きが現れ、福岡県でも昭和61(1986)年に『福岡県情報公開条例(旧条例)』が制定されました。これをきっかけに福岡県庁での『旅費不正支出問題』が発覚し、他の自治体でも同様なことが行われていた事実が明らかになったり、情報公開の重要性が認識され始めました。
▼高齢者SOSネットワーク費 | ▼福岡ブランド販売戦略事業費 |
(左)
平成28年度 高齢者SOSネットワーク費 筑後市:59,000円
『ちくご認知症高齢者等SOSネットワーク』(筑後市Webパンフレット)より
日本は男女ともに平均寿命が長いことで有名ですが、昭和50(1975)年代には、すでに『長寿社会』という言葉が使われているようです。そして平成10(1998)年頃から、高齢者人口が子ども人口を上回るようになり、『少子高齢化』が加速しています。
この状況を踏まえ、国や地方自治体は『高齢者に住みよいまちづくり』、子ども人口を増やすための『働き方改革』、『結婚・子育て応援』などの施策を打ち出し、『少子高齢化社会』に備える環境整備に力を注いでいます。
(右)
平成18年度 福岡ブランド販売戦略事業費 福岡県:76,317,363円
『グラフふくおか 平成2年度』(福岡県行政資料)より
最近は、多くの自治体・地域が農林水産物の『ブランド化』に取り組んでいます。『ブランド化』の基本は、生産物そのものの魅力を他と差別化し、付加価値を持たせることですが、その上でそれをいかに広く流通させるかが『ブランド化』成功の鍵となるようです。
市場調査、広告、販路拡大などのマーケティングは、生産者や自治体が単独で行うには限界もあり、複数の市町村や県が連携して戦略を練り、全国展開を目指して努力しています。