福岡公文書館ブログ

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  • 2021年1月27日

    公文書でめぐる ふるさと福岡 ~飯塚市~

    今回は、飯塚(いいづか)です。

    飯塚市の位置

     

    【飯塚市と筑紫野市】

     

    福岡共同公文書館が所在する筑紫野市と、飯塚市とは隣接するおとなりさんです。

    当館の専門員さんにも、飯塚市から出勤している方がいますが、この二つの都市は、

    そもそも江戸時代から、同じ街道沿いの宿場町としてのつながりがありました。

    江戸時代、長崎と小倉を結び、参勤交代をはじめ多くの旅人の通行があった長崎街道。

    長崎街道の筑前国内の六つの宿場を「筑前六宿(ちくぜんむしゅく)と呼びました。

    その西の端の原田(はるだ)宿と次の山家(やまえ)宿は現在の筑紫野市、

    その次の内野宿飯塚宿は現在の飯塚市です。

    しかし隣り合う山家宿と内野宿の間には、長崎街道一の難所ともいわれた

    冷水峠(ひやみずとうげ)が立ちはだかり、旅人を苦しめました。

    その冷水峠にも、1985年に全長2,891mの冷水トンネルが開通し、

    飯塚市と筑紫野市を結ぶ道路ルートはぐっと快適になりました。

    鉄道の方も、筑豊本線(若松駅(北九州市)-原田駅)が飯塚市と筑紫野市を結んでいます。

     

    【交通の要衝・飯塚】

     

    福岡市・北九州市の両政令市と飯塚市とを考えてみても、

    道路は八木山(やきやま)バイパスや直方(のおがた)バイパスなどが整備され、

    鉄道は福北ゆたか線(黒崎駅(北九州市)-博多)が通っており、通勤・通学圏内となっています。

    交通の要衝でもあり、人口は福岡市、北九州市、久留米市についで、県内4番目の規模で、

    まさに筑豊地域の中心都市といえます。

     

    【炭都・飯塚】

     

    飯塚といえば、やはり「炭鉱」をイメージする方も多いのではないでしょうか。

    福岡の近代化と発展に大きく寄与したのが、明治期に始まる石炭産業です。

    そして、飯塚は良質な産炭地として、大手資本が注目し、多くの炭鉱が開坑しました。

    筑豊御三家の一として有名な麻生太吉(あそうたきち)や、

    朝の連続テレビ小説にも取り上げられた炭鉱王伊藤伝右衛門(いとうでんえもん)も飯塚出身の人物で、

    明治期に石炭の採掘から身を起こし、一財を為して、政界や実業界で活躍をした、

    まさに石炭ドリームを実現した男たちです。

    彼らは、町にも大きな貢献を果たしており、公文書にも、高額納税者や寄附者として、

    たびたびその名が登場します。さらに朝ドラ「あさが来た!」の主人公のモデルとなった

    広岡浅子(ひろおかあさこ)(日本女子大学の設立や大同生命の創始で著名)が再開発に成功した

    潤野炭鉱(うるのたんこう)も飯塚にあり、ドラマでもその再開発の様子は克明に描かれていました。

     

    【鉄道】

    明治期の筑豊地方は、石炭産業の隆興により、いち早く鉄道が走り、道路も整備されていきました。

    福岡県で最初の鉄道といえば、明治22年(1889)に博多~久留米間を開通させた九州鉄道ですが、

    2番目の鉄道は、筑豊興業鉄道(ちくほうこうぎょうてつどう)でした。

    産炭量が増加するにつれ、川ひらた舟を使った水上輸送を鉄道による大量輸送に切り替えるために、

    筑豊五郡によって明治22年7月に設立された鉄道会社です。

    会社設立からわずか8年後の明治30年(1897)に九州鉄道と合併した

    筑豊興業鉄道についての資料は数が少なく、当館でもほんのわずかしか所蔵していませんが、

    飯塚市から移管されてきた公文書のなかに、鉄道建設に関する貴重な資料があります。

    「鉄道係スル事蹟」(1-2-0013000、明治25年度、飯塚市公文書)です。

    これは、筑豊興業鉄道が路線を延長する際に、

    関係町村とどのような協議をおこなったのかがわかる資料で、

    そのころ筑豊興業鉄道会社の監査役であった安川敬一郎(やすかわけいいちろう)が折衝のために、

    飯塚を訪れた事蹟や、新路線開業時の試乗会に飯塚町長を招待した事蹟などを確認することができます。

    明治25年8月12日に作成された飯塚町役場から同町鉄道委員へ向けた文書。内容は、筑豊(興業)鉄道の岩鼻鉄橋建設について関係町村との協議のために、同鉄道監査役の安川敬一郎が飯塚へ来ているので、鉄道委員は速やかに集まること、とあります。
    筑豊興業鉄道は、福岡県で2番目に設立された鉄道会社であり、開業後わずか6年で九州鉄道と合併した。市町村文書に残るこうした鉄道建設に係る事蹟は、筑豊興業鉄道の社史を調べる上でも貴重です。

     

    【市制施行】

     

    石炭産業の隆盛によって人口が増え、インフラの整備も進む飯塚は、

    昭和7年(1932)1月、市制施行を行います。福岡県では10番目の市ということになります。

    市制施行の詳しい事蹟は、県の公文書に残されています。

    (『市制施行』(昭和7年、1-1-0024554))
    市制施行申請書の一部。昭和6年6月の飯塚町議会において、満場一致で市制施行申請が可決されたことがわかります。

     

    【飯塚市公文書について】

     

    飯塚市から当館へ移管された公文書は、現在約4,000件

    飯塚市公文書について特筆すべきは、明治期から継続して残された文書群が非常に多いということです。

    例えば、議会文書は市制町村制施行前の明治18年から約100年にわたって保存され移管されています。

    しかも、合併により現飯塚市の一部になった、旧町村の文書を並列して見ることが可能です。

    これは、飯塚市をめぐる様々な出来事を検証するだけでなく、議会史、地方行政史を考える上でも、

    大変貴重な一次資料となります。

    また、学校教育課が保存していた「学齢簿」「学籍簿」

    明治27年のものから約60年にわたり残されています。この膨大な資料群も、

    先祖探しに役立つということだけでなく、時代や社会に応じて変遷していく教育制度をたどる

    重要な一次資料といえるのです。

     

    このように非常に見どころの多い飯塚市の公文書ですが、とにかく数が多いので、

    今後も折に触れご紹介していこうと思います。

    「明治十八年度 村費決議録報告留 飯塚村外五ヶ村戸長役場」(1-2-0014506)

    村費の内の「一時買入費」(紙や筆墨のように毎月購入しなければならない物品以外の物についての購入費用)に計上された物品の内訳(火鉢、そろばん、七輪、提灯…)を見ると、当時の役場内の様子が目に見えるようです。

     

     

     

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