◆はじめに
今回は小郡市の紹介です。小郡市は、今年市制施行50周年を迎えました。
様々な記念行事が実施されていますが、「公文書」をテーマにした企画も実施されています。
それがこちら、市の広報紙『広報おごおり』です」。
今年の4月号の表紙で『50周年』を大きくアピールしていますが、
以後毎号『広報タイムスリップ』というコーナーを設けて、
過去の懐かしい『広報おごおり』の記事をピックアップして掲載しています。
◆小郡市の地勢
小郡市は福岡県の中央よりやや南に位置し、北は筑紫野市、東は筑前町と大刀洗町、南は久留米市、
そして西は佐賀県(鳥栖市、基山町)と境を接しています。
東西6キロメートル、南北12キロメートルで、総面積は45.51平方キロメートルあります。
市の北東部、筑前町との境には標高130.6メートルの花立山(はなたてやま)があり、
また市の中央部を南北に貫いて宝満川(ほうまんがわ)が流れています。
画像は、1975(昭和50)年、花立山一帯を「銃猟禁止区」に設定する際、
当時の佐々木保市長から提出された意見書です。
◆小郡市の歴史
近代の小郡は、1889(明治22)年の市制町村制による「小郡村」から出発します。
次いで1953(昭和28)年、町制施行により「小郡町」となり、
1972(昭和47)年の市制施行で「小郡市」というように歩みを進めて来ました。
画像(1)は、1953(昭和28)年小郡を村から町にすることについて、杉本勝次福岡県知事から
時の内閣総理大臣吉田茂宛てに送られた報告の控です。
また画像(2)は、1971(昭和46)年12月、当時の佐々木敏雄小郡町長から
亀井光福岡県知事宛てに提出された市制施行の申請書類の鑑、続く画像(3)は、
小郡町を市とする処分に関する記事を掲載した、1972(昭和47)年2月1日付の官報です。
こうした小郡市ですが、「小郡」という名称そのものは古く、『日本書紀』持統天皇3年の6月条に
「乙巳於筑紫小郡設新羅弔使金道那等」とあるのが最も古い記録とされています。
大意は、「6月24日に、筑紫の小郡で、新羅からの弔使である金道那(こんどうな)達を接待した」
ということになります。
その後、奈良時代には地方官衙(役所)も置かれ、その区域は現在「小郡官衙遺跡(おごおり
かんがいせき)」として国指定史跡となっています。
◆小郡市のイチオシ・七夕プロジェクト
小郡市では平成元年から、「七夕」をテーマとした町づくりに取り組んでいます。
市内を流れる宝満川をはさんで、織女神をまつる媛社神社(ひめこそじんじゃ=別名・七夕神社)と、
犬飼神(いぬかいしん=彦星)を合祀する稲吉老松神社(いなよしおいまつじんじゃ)があり、
それがまるで天の川を挟んだ織姫と彦星の物語のようであることに着想を得た施策です。
ランドマークやモニュメントの設置、イベントの開催、商品開発など、「七夕のさとづくり」を
推進し、併せてテーマソング『小郡 七夕サンバ』のCDを作成するという力の入れようです。
平成30年からは「七夕」を地域ブランドとして確立し、地域活性化につなげるプロジェクトも
立ち上げられました。
今後も小郡の七夕から目が離せそうにありません。
次回の「公文書でめぐる ふるさと福岡」もお楽しみに!!