福岡公文書館ブログ

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    2021年4月3日

    出張展示 in 大木町 (3/16~28) を行いました

    新年度を迎えました。コロナはまだまだ油断できない状況ですが、今年度も福岡共同公文書館をよろしくお願いいたします。

    ここ数日、HP改修のためご迷惑をおかけしました。

    さて、今回は前回のみやま市に続き、大木町図書・情報センター「こっぽーっとギャラリー」(大木町図書・情報センター:こっぽーっとギャラリー (library.oki.fukuoka.jp)において 実施していた『おいでよ!福岡共同公文書館へ』 と題した出張展示の報告と、3月末まで当館の職員として働いていた大木町から派遣の職員さんのインタビューです。お話を聞いたのは当館キャラクターのしょこらです。

            【出張展示 ㏌大木町の様子】

     まずは自己紹介をお願いします。

    大木町から派遣されていた堤です。

    当館では、「文書班」で、県や各市町村からの文書の収集・保存に関する業務を行っていました。

    派遣が決った時は、今まで通勤時間自転車で約2分だったのが、自転車、電車、徒歩で約1時間20分になってしまうので「早起きがつらい!」ということが最初に頭に浮かびました。しかし、今年度末で派遣が終わり名残惜しい気持ちもありましたが、4月から大木町役場の職員に戻りました。

     公文書館の印象は?

    福岡共同公文書館に勤務する前は「公文書館」は

    「歴史」公文書を集める施設?

    「歴史」公文書ってなかなかないよな…

    という印象でした。しかし、実際にはそんなことはなく、身近な公文書が「歴史公文書」になっているということを知りました。

    当館の利用者の方から、「ここにある資料は『お宝』です」といわれたことが、文書収集を担当するものとして非常にうれしく感じた瞬間でした。

     実際に働いてみていかがでしたか?

    比較的新しい施設なので1年中快適に仕事を行うことができました。

    また、職場の皆さんにもさまざまな場面で助けていただきました。共同公文書館で県の職員、他の市町村職員、さまざまな経歴をお持ちの会計年度任用職員と「共同」して業務を行えたことは、私にとって非常によい経験でした。

     最後に大木町のPRをお願いします。

    大木町は面積が県内60市町村中49位と決して大きな町ではありませんが、

    アスパラガスの生産県内 ナンバー1

    キノコ類の生産量九州  ナンバー1

    の魅力あふれる町です。ほかにもたくさん町の魅力をお伝えしたいのですが、百聞は一見にしかずぜひ、大木町にお越しいただき、大木町を見て、聞いて、感じてみて下さい。きっとあなたにとってほかの町にはない「ナンバー1」もしくは「オンリー1」が大木町で見つかるのではないかと思います。

    「アクアス」の柔らかなお湯たちがあなたの旅の疲れを癒したがっています!

    「道の駅 おおき」のきのこたちがあなたにもぎ取られたくてうずいています!

    「おおき田園小旅行 サイクリング・ウォーキングマップ」 (2-4-0009291)

     

    「木の子のとっておきレシピ きのこの郷 大木町発」 (2-4-00092909)

    1度ならず、2度、3度のご来町をお待ちしております。

    私も4月からは町の魅力をより多く・大きくするために力の限り頑張っていきたいと思います。

     

    ありがとうございました。4月からは町のために頑張ってください。

    でも、公文書館のことも忘れずに気にかけてくださいね。

    また、大木町の紹介は前回の「公文書でめぐる ふるさと福岡 ~大木町~」もご覧ください。

     

     

    2021年3月3日

    出張展示 in みやま市 (3/2~14) のご案内

    みやま市立図書館「市民ギャラリーKusu-Kusu(くすくす)」みやま市立図書館 みやま市立図書館 (library.miyama.fukuoka.jp) で 『 おいでよ!福岡共同公文書館へ 』 と題した出張展示を実施しています。
    「なかなか筑紫野市まで行けないよ~」という方々にも「福岡共同公文書館」のことを知っていただこうと、企画しました。

    福岡共同公文書館は福岡県と県内市町村が共同で設置・運営している公文書館です。平成24年11月に当館が開館して「福岡県内市町村の公文書館設置率は100%」になったのです。
    ここで働く職員は15名。県の職員と市町村から派遣された職員がそれぞれ3名ずつと、会計年度任用職員が9名という構成になっています。
    市町村への出張展示『おいでよ!福岡共同公文書館へ』は初の試みです。きっかけとなったのは、当館職員にみやま市から派遣の職員さんがいたからです!

    ここからは当館キャラクターのしょこらによるインタビュー形式でお伝えします。

     まずは自己紹介をお願いします

    みやま市から派遣されている高木と申します。生まれ育ったのは自然豊かなみやま市高田町です。福岡共同公文書館の存在は知っていましたが、一般の方も利用できる施設であることは知りませんでした。派遣が決定したときは、「みやま市の看板を背負って仕事する!頑張ろう!」という気持ちでした。当館では、「総務企画班」で、施設の利用促進、展示や講座に関する業務や広報誌等の作成を手掛けました。今年度末で派遣が終わり、4月からはみやま市役所の職員に戻る予定です。「出張展示inみやま市」が実現したので嬉しいです。たくさんの皆様のご来場をお待ちしています。

     みやま市ってどんなところですか?

    みやま市は、平成19年1月29日に瀬高町(せたかまち)・山川町(やまかわまち)・高田町(たかたまち)が合併して誕生しました。福岡県の南部に位置し、一部は熊本県と接しています。東部には山々が連なり、中心部は広大な筑後(ちくご)平野、西部には有明(ありあけ)海の干拓によって開かた低地が広がっています。

    市内を流れる矢部川(やべがわ)を中心とした河川がもたらす肥沃な土壌と有明海の恵みによって農業・海苔養殖業のまちとして発展してきました。

    JR鹿児島本線と西鉄大牟田線が乗り入れ、九州新幹線「筑後船小屋駅」にもほど近く、また、九州自動車道の「みやま柳川IC」があるなど、交通面は充実しています。ICを降りてみやま市内に向かうと、「みちの駅“みやま”」があります。四季折々のみやまの特産品がずらりと並び、中でもセルリー(博多セロリ)の大きさには驚かされます。テレビでも話題になった「玉めし」など、フードコートも充実しています。ぜひ、お立ち寄りください。

     おすすめの一冊を教えてください!

    みやま市からの公文書の移管は1,364冊(2021年2月現在)あります。そのほか、行政資料も所蔵しています。私のおススメの一冊はコレ!

    「みやまの人と歩み みやま市史Ⅰ」(2-4-0006384) H26.12発行

    「みやま市史」の人物編として発行されたものです。みやま市出身で全国的に目覚ましい活躍をした人や地元の経済・文化・福祉の向上等に功績のあった方々を、読みやすい文字で、写真等を交えてわかりやすく紹介しています。

     最後にしょこらから~!

    みやま市の次は、大木町図書館・情報センターの「こっぽーっとギャラリー」(3/16~28)に行くよ。

    うちの市町村にも来てほしい~☆という声をお待ちしていま~す。

     

    2020年11月27日

    ミニ特集「公文書と〈害虫〉」より ③IPM日記

    朝晩冷え込んでまいりましたね。皆さま、秋の夜長の虫の声♪は耳にされましたか。

    今回は、常設展秋のミニ特集「公文書と〈害虫〉」より、文化財IPMと当館の【館内IPM】のお話です。またしても、虫の写真が出てきますので、苦手な方はご注意ください。IPMってなんだ?という方は前回のブログ「ミニ特集「公文書と〈害虫〉」より ②IPMとおまけの展示」をどうぞ。

    9月の館内IPM(トラップ調査など)の様子をご紹介します。(クリックすると各項目に移動します)

    (さらに…)

    2020年11月19日

    ミニ特集「公文書と〈害虫〉」より ②IPMとおまけの展示

    芸術の秋ですね。皆さまは、美術館や博物館にいかがお過ごしでしょうか。

    10月20日のブログ「ミニ特集「公文書と〈害虫〉」より①虫損を受けた公文書」でもご紹介しましたが、受け入れた資料を長期にわたって虫やカビの害から守り保存することは公文書館の大切な仕事です。今回は、入替から1か月が経過しました、常設展秋のミニ特集「公文書と〈害虫〉」より、文化財IPMとエントランスのおまけの展示についてご紹介します。

    曝書ばくしょ曝涼ばくりょう(虫干し)とは、奈良時代から千年以上もつづく、日本の伝統的(文化財の)保存管理法(行事)です。書物や宝物を日や風に当て、湿気を飛ばし、虫やカビを払い、目通し・風通しにより状態を点検を行います。資料を丁寧に扱い、何重にも収納し、定期的に曝涼と点検を行い、必要に応じて修理を行うというサイクルになっています。

    第二次世界大戦後(1960(昭和30)年代から)、臭化メチルと酸化エチレンの混合ガスによる燻蒸くんじょう(気化させた薬剤による殺菌殺卵殺虫処理)が採用され、次第に大規模で定期的なガス燻蒸が曝涼の代わりに普及していきました(1980年代)。1997年「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」の締結によって、先進国では2005年から臭化メチルが全廃されることとなり、文化財IPM総合的有害生物管理そうごうてきゆうがいせいぶつかんり:Integrated Pest Management)の考え方が本格的に導入されていきます。

    文化財IPMとは、「博物館・美術館・資料館・図書館・文書館等の建物において考えられる有効で適切な技術を合理的に組み合わせて使用し、展示室、収蔵庫、書庫など資料のある場所では、文化財害虫がいないことと、カビによる目に見える被害がないことを目指して、建物内の有害生物を制御し、その水準を維持する」という考え方で、薬剤だけに頼らず日常的な保存環境の点検整備による予防対策が中心となっています。(参考:公益財団法人 文化財虫菌害研究所『文化財IPMの手引き』2014年)

    IPMという概念はもとは農業分野で生まれました。1960年代、環境問題が深刻化して、生物多様性や環境保全型農業といった自然にとって望ましい在り方への関心が高まり、1965年以降IPMという考え方が育っていきます。

    Integrated Pest Management (総合的有害生物管理:IPM)とは、「利用可能なすべての防除ぼうじょ技術を経済性を考慮しつつ慎重に検討し、病害虫・雑草の発生増加を抑えるための適切な手段を総合的に講じるものであり、これを通じ、人の健康に対するリスクと環境への負荷を軽減、あるいは最少の水準にとどめるものである。また、農業を取り巻く生態系のかく乱を可能な限り抑制することにより、生態系が有する病害虫及び雑草抑制機能を可能な限り活用し、安全で消費者に信頼される農作物の安定生産に資するもの」とされています。(農林水産省,2011ガイドライン:FAOの定義(2013))

    IPMを実践する生産者は「要防除水準ようぼうじょすいじゅん」や「病害虫発生予察びょうがいちゅうはっせいよさつ情報」などを参考に、病害虫・雑草の発生をよく観察し、防除要否や防除手段およびタイミングを判断する必要があります。このIPMの考え方は、現在、病院、食品工場、建築物衛生分野等の多方面でいかされ、文化財分野にも影響を与えています。


    文化財IPMや資料の保存について、もっと詳しく知りたい方は、こちらもどうぞ。


     

    【エントランスのおまけの展示】

    展示室入口では、文化財害虫ザウテルシバンムシの昆虫標本と被害本を実際に手に取ってご覧いただけます。

    (資料協力:東京文化財研究所 保存科学研究センター)

     

    国際植物防疫年2020関連資料スペースでは、門司植物防疫所福岡支所からお預かりした植物検疫のパンフレット類と、展示でも資料をご紹介している福岡農林業総合試験場のご案内を置いています。ご来館の際には、エントランスのおまけ展示もご覧ください。

    ロビーでは過去の企画展のポスターを展示しています。

    福岡共同公文書館では常設展の一部を入替、秋のミニ特集「公文書と〈害虫〉」がご覧いただけます。

    Web展示で一部資料をご紹介しておりますので、そちらもどうぞ。

    2020年10月29日

    公文書でめぐる ふるさと福岡~筑後市~

    収穫の秋ですね、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

    『公文書でめぐる ふるさと福岡』今回は、筑後市をご紹介します。(筑後市HP

    筑後市

    筑後市は福岡県の南西部、筑後平野(九州最大の筑紫平野の福岡側)の中央に位置する田園都市です。市の南を流れる矢部川の流域は、縄文・弥生時代の集落跡である裏山遺跡があり、古くから人が住んでいた地域です。

    (地名がたくさん出て来ますので、末尾に地名等のよみがな対照表をつけています。)

    市内を南北に通る坊津街道ぼうのつかいどう(薩摩街道)は江戸時代の参勤交代の通り道で、羽犬塚はいぬづかはその宿場町でした。ややルートの変遷はあるものの、平安時代に編纂された『延喜式えんぎしき』(10世紀前半)の中にも「西海道さいかいどう」(古代飛鳥・奈良時代の幹線道路)の駅名として「葛野駅かどののえき」(現在の羽犬塚付近と想定される)が登場しており、九州縦断の交通の要衝であったことがうかがえます。(参考『福岡県百科事典』)

    筑後市から当館に移管された資料は9月末現在で789点です。年代が古いものは、明治時代の字図・一筆限竿入帳などの土地の台帳です。また、教育委員会作成の埋蔵文化財報告書では遺跡や西海道に関連する場所について調査したものも多いです。

    温暖な気候と、土壌や水にも恵まれた農業が盛んな土地で、米・麦・イグサ・ナシ・ブドウ・八女茶などが生産されています。炭酸泉の船小屋温泉郷や恋の木神社などの観光スポットがあり、「恋のくに筑後」と題して市をあげての婚活イベントなども盛んです。

    筑後市を紹介しながら、恋も応援するPR動画 恋のファーム♡Chiku−Go! ちくご恋するチャンネル(広報ちくご・筑後市公式Youtubeチャンネル)より

    筑後市内遺跡群Ⅳ 筑後市文化財調査報告書 第45集 (2-1-0019164)

    藩政時代には久留米藩に属していた地域で、明治22年(1889)町村制施行により、上妻郡かみつまぐんの羽犬塚村、二川村ふたかわむら下妻郡しもつまぐんの水田村、下妻村、古川村の五ヵ村が成立します。明治29年(1896)上妻郡、下妻郡は生葉郡いくはぐんの一部とともに八女郡となります。水田村(明治41年(1908)合体合併;水田村、下妻村、二川村)と、羽犬塚町(大正14年(1925);町制施行)と、古川村、岡山村(一部)が合併して、昭和29年(1954)4月に筑後市が誕生しました。その後、三潴郡西牟田町と八女郡下広川村の一部を編入して、現在に至ります。

    実は、筑後市は、常設展秋の特集「公文書と〈害虫〉」の中でご紹介している、明治の螟虫めいちゅう駆除とも深いかかわりがあります。今回は『筑後市史』2巻「益田素平と螟虫駆除法」に登場する、益田素平(八女郡江口村の老農、のち二川村長)と螟虫駆除に関連する資料をご紹介します。

    近世、農作物の〈害虫〉は、「虫」または、稲につく虫「いなむし」と呼ばれ、天災のひとつとされていました。民俗行事で今も残る虫送りや虫追いは、呪術的な害虫駆除による豊作祈願であり、虫供養は農作業の過程で駆除した虫への鎮魂でした。

    明治の福岡県では、品種改良や施肥の改善によって、茎が太く収量の多い稲がつくられるようになりましたが、この稲の茎を中から食す螟虫メイチュウ(螟蛾めいがの幼虫)による甚大な被害が発生します。

    (ニカメイチュウ写真提供:福岡県農林業総合試験場 病害虫部)
    螟虫というのは通称で、方言でスムシズイムシナカザシシンキリイネノドウムシカラクダシなどと呼ばれていました。稲の茎の中で幼虫が成長し、年2回(2世代)発生するので二化螟虫ニカメイチュウ二化螟蛾にかめいがの幼虫)と名づけられました。現在はあまり見られなくなりましたが、ウンカと並び稲作に大きな被害をもたらした〈害虫〉で、とくに筑後地方では、年3回発生する三化螟虫サンカメイチュウ三化螟蛾さんかめいがの幼虫、イッテンオオメイガ)による深刻な被害を受けていました。

    福岡で、県や明治政府に掛け合いながら螟虫駆除予防に尽力したのは益田素平をはじめとする筑後地方の老農ろうのうたちでした。老農というのは、西洋農学を学ばずに在来の農業技術の改良をおこなってきたひとたちのことです。益田は自身の試験田での研究と新しく知られるようになった西洋昆虫学の情報を照らし合わせ、稲の茎を中から食して穂枯れをおこすメイガの幼虫(特に、三化螟虫)の存在を確信します。1877(明治10)年、当時副戸長でもあった益田は「螟虫駆除予防稟申書」を福岡県に提出し、県の対応を求めます。県からも国へ上申し、内務省勧農局員の鳴門義民(青森のニカメイガと九州で発生していたサンカメイガについて、虫害の調査、駆除の方法の指導に当たっている)が派遣されます。鳴門との協議の結果、益田が提案した様々な防除方法の中から、稲刈りを終えた稲株をすべて掘り起こして寒気にさらし焼却する「稲株掘り起し法」が有効とされ、導入への働きかけが行われます。

    1879(明治12)年10月 メイガの被害町村連合会(三潴、八女、山門やまとの三郡)で益田素平・中島忠蔵(上妻郡島田村)・原口茂七(下妻郡常用村)ら螟虫研究老農たちが説明を行いますが、「稲株掘取」は時期尚早と採用されませんでした。代わりに18か所の螟虫試験所が設置されました。

     

    『福岡県における螟蟲(めいちゅう)駆除豫防の沿革 病害虫駆除豫防資料第15号』(1-1-0007432)附益田素平翁遺稿螟虫実験説

    1880(明治13)年10月、反対意見も多い中、益田素平・佐野貞三(三潴郡八丁牟田村、現大木町)らの啓発や渡辺県令の説示もあり、上妻下妻、三潴、山門の4郡聯合会れんごうかいで当年度の「稲株掘取焼却」による駆除予防の実施が採用されます。被害の大小にかかわらず収穫後の稲株を掘取焼却等処分をすることとされ、罰則もありました。しかし、県から強制される形で非常に労力の要る「稲株掘取」を行うことは、すぐには理解を得られず、同月反発する農民らによって「不掘取」を請願する「筑後稲株騒動」が起き、益田や佐野、郡長や議長が襲撃の対象となりました。三潴郡27カ村、上妻郡45カ村、800名に及ぶ逮捕者を出したこの騒動ののち、次第に農作物の〈害虫〉と駆除予防の必要性が理解されていきます。明治29年には、明治政府によって害虫駆除予防法が制定され、県の害虫駆除予防規則のもと行政主導の組織的な防除が行われるようになり、農業試験場での応用昆虫学や農法、薬剤の研究とともに農業の近代化がすすんでいきます。

     

    『二川村会決議録 八女郡二川村役場』(1-2-0005938)、『筑後市史 第二巻』(2-4-0005776)

    明治22年、益田素平は二川村の村長に就任しています。明治政府による「害虫駆除予防法」が公布された明治29年、福岡県令に基づき、二川村会は「苗代田並植田螟虫駆除規定」を制定しました。行政区ごとに取締人を選び、村の直営事業として苗代田なわしろでんの採卵と捕蛾とその買上、枯茎採取の夫役雇入れが行われました。また益田は、反発を招く原因となった稲株掘取の労力を減らし、稲株処理を普及させるための稲株切断器(株切鍬)も考案しています。

    螟虫駆除のために、益田らが提唱し各地の試験研究機関で研究されるようになった、遁作法、採卵、採蛾、稲株処理、誘蛾灯、虫害稲藁の処理など総合的な駆除対策は、現代の農業におけるIPM(Integrated Pest Management 総合的病害虫・雑草管理)の考え方とも通じるものがありますね。

    いかがでしたか?次回は福津市をご紹介します。お楽しみに。

    福岡共同公文書館では常設展の一部を入替、秋の特集「公文書と〈害虫〉」がご覧いただけます。Web展示で一部資料をご紹介しておりますので、そちらもどうぞ。

    ※地名等 ふりがな対照表 (参考:日本歴史地名大系41「福岡県の地名」平凡社、2004年)

    1. 坊津街道(ぼうのつかいどう)
    2. 羽犬塚(はいぬづか)
    3. 西海道(さいかいどう)
    4. 葛野駅(かどののえき):「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条にみえる筑後国の駅で、大宰府から筑後国を経て肥後・薩摩国府へ向かう薩摩路(小路)に設置された
    5. 上妻郡(かみつまぐん)
    6. 下妻郡(しもつまぐん)
    7. 生葉郡(いくはぐん)
    8. 三潴郡(みづまぐん)
    9. 山門郡(やまとぐん)
    2020年10月20日

    ミニ特集「公文書と〈害虫〉」より ①虫損をうけた公文書

    食欲の秋ですね、皆さまいかがお過ごしでしょうか。今回は、常設展秋のミニ特集「公文書と〈害虫〉」より、虫たちの旺盛な食欲で食べられてしまった資料のお話です。虫の写真が出てきますので、苦手な方はご注意ください。

    公文書館に移管される以前に、長い年月保管されている中で、劣化や災害、虫害などにあってしまった資料もあります。和紙に墨で書かれた資料は、水や湿気には弱いですが、正しく保存すれば1000年以上の寿命を持ちます。文化財害虫による食害を受けた状態で入ってきた資料も、大切な情報を持っています。また、そのままの姿の原本(一次史料)を保管しているからこそ、記録されている情報が証拠としての価値をもつ証明の一助にもなります。

    歴史公文書として受け入れる際には、目視点検によって、虫の死骸(生きた虫は出てしまった後のことが多いです)や蛹、卵、糞、カビなどを取り除き、ガス燻蒸による殺菌・殺虫・殺卵処理を行います。燻蒸後は、残った汚れを可能な限り取り除き、保存庫に収蔵します。保存庫に入れた後も、利用の際や定期点検の度に、状態を確認し、必要な手当てを過不足なく行い、環境管理を行うことが、資料保存業務の原則です。

    秋の特集展示、公文書と〈害虫〉では、通常は資料への負担をなるべく減らすために、保存庫からほとんど出すことがない、虫損(ちゅうそん)をうけた公文書をご紹介しています。

    (さらに…)

    2020年10月6日

    常設展一部入替のお知らせ 10月6日より

    10月になりました。秋の衣替えはおすみでしょうか。

    福岡共同公文書館では、今年度は新型コロナウィルス感染症の影響で、企画展は実施いたしません。

    その代わりに、常設展「公文書にみる福岡のあゆみ~福岡県の誕生と市町村合併~」の中の、ミニ特集「行政資料の世界」を入替え、秋のミニ特集「公文書と〈害虫〉」を10月6日より展示しております。ご来館の際には、ぜひ展示室にもお立ち寄りください。

    このミニ特集では『国際植物防疫年2020』にちなんで、近現代の福岡県内の病虫害防除・防疫に関連した資料をご紹介しております。
    展示ケース
    また、『文化財IPM』(文化財分野での虫やカビの害の予防対策の取組み)に関連して、通常は資料への負担をなるべく減らすために、保存庫からほとんど出すことがない、虫損(ちゅうそん)をうけた公文書もご覧いただけます。

    ご来館がむずかしい方にもご覧いただけるよう、Web展示にて一部資料のご紹介をしておりますので、そちらもどうぞ。

    粘着マット

    緑の粘着マットがお出迎えします。

    2019年10月18日

    パネル展~昭和の主基斎田(すきさいでん)~

    先週末は、台風19号の影響で、福岡でも強い風が吹きました。

    遠く離れた福岡でも、これほどの影響を受けるのだから、

    台風に近い場所はどれほどか…と思ってはいたのですが、

    次第に明らかになった被害の大きさに、愕然としました。

    本当に自然災害は恐ろしいです。

    被災地の皆様には、心からお見舞いを申し上げますとともに、

    一日も早い復興をお祈りいたします。

    また、なにか協力できることを探して実践していきたいと思っています。

     

     

    当館では、9月末に企画展「学校給食ヒストリー」が終了しました。

    企画展にご協力くださったみなさま、ご来場くださったみなさま、

    本当にありがとうございました。

     

    現在、当館展示室では、常設展「公文書に見る福岡のあゆみ」を、

    エントランスでは、パネル展「昭和の主基斎田~福岡県の記録から~」を行っています。

    このパネル展は、平成27年度の冬に行った同タイトルの企画展のリバイバル展示です。

    なぜ、いまさら3年半も前のパネルを展示するのか…といいますと、

    11月に大嘗祭(だいじょうさい)が行われるからです!

     

    大嘗祭は、新天皇が即位後初めて行う新嘗祭(にいなめさい)のことです。

    近代以降では、明治、大正、昭和、平成、そして令和と5度目の大嘗祭になります。

    この大嘗祭にコメを作って献上するのが、

    「悠紀(ゆき)」「主基(すき)」という二つの地域であり、

    その地域は、亀卜(きぼく)という亀の甲羅を使った占いで選ばれます(斎田点定の儀)。

    令和の大嘗祭では、悠紀が栃木県、主基が京都府に決定し、

    この二つの地域の田(斎田)で作られたコメは、先日大嘗宮に供納されました(新穀供納)。

     

    今をさること91年前、大正天皇崩御の後1年間の服喪を終え、

    昭和天皇の即位の礼と大嘗祭が行われたのが、昭和3年(1928)でした。

    その大嘗祭の主基地方に選ばれたのが福岡県です。

    この時の資料(公文書、写真)が、福岡共同公文書館に多数移管されており、

    主基斎田の詳細を知ることができます。

    平成27年度の企画展「昭和の主基斎田~福岡県の記録から~」では、

    公文書、写真、絵葉書、お田植衣裳など、関連資料の展示を行い、

    昭和3年の福岡県を大いににぎわせた、主基斎田という一大事業についてご紹介しました。

    この企画展を行ったときは、まさか次の大嘗祭がこんなに早く行われるとは思ってもいなかったのですが、

    せっかくよい機会なので、過去の企画展のリバイバル展示を行うことにしました。

    展示パネルは、斎田での農作業、お田植祭、抜穂式(ぬきほしき)などの祭祀、

    京都の御所に供納する様子などを記録した写真が中心です。

    当時の福岡県は、この一大事業の顛末を文書だけでなく、膨大な記録写真としても残しています。

    大変画質の良い写真で、91年前の雰囲気を今に伝えてくれています。

    令和の大嘗祭のニュースを見て、大嘗祭や主基斎田にご興味を持たれた方は、

    ぜひこの機会に、福岡共同公文書館に来ていただいて、

    昭和の大嘗祭と福岡県との関わりについても知っていただきたいな、と思います。

    パネルだけでなく、もっと関連資料を見てみたい、という場合は、

    利用申請をすればどなたでも資料の閲覧ができますので、どうぞご利用ください。

     

    ※平成27年度第2回企画展「昭和の主基斎田~福岡県の記録から~」の

     概要や展示資料につきましては、

    当館ホームページ>展示・講座案内>過去のイベント情報>企画展>昭和の主基斎田

    「福岡共同公文書館だより」第9号当館ホームページ>刊行物等>福岡共同公文書館だより

    に掲載しておりますので、あわせてご覧ください。

     

    2019年8月27日

    企画展「学校給食ヒストリー」エントランスより

    あっという間にお盆も過ぎて、8月も残りわずかになりました。

    7月23日から始まった企画展も、折り返し地点を過ぎたところです。

    今回の企画展は、展示室の外(エントランス)にもいろいろと見どころがあります。

    給食年表や福岡県の郷土料理を紹介するパネルの展示、

    アルマイトの食器に触ってみるコーナー、

    石盤・石筆を体験するコーナー、

    明治と平成の小学生の身長を比較するコーナー

    などなど。

     

    そして、今回ご紹介するのは、

    ご来場のお客さまに、小学校や学校給食の思い出をカードに書いて掲示してもらうコーナーです。

    こうしてお客様自身の手で掲示をしていただく試みは、

    以前、5周年記念展示「公文書でめぐる鉄道の旅」でもやりました

    (この時は鉄道に関する写真を掲示していただきました)が、

    展示を見ていただくだけでなく、お客様にも展示に参加していただきたい、

    という趣旨で始めた取り組みです。

    エントランスの片隅にあるので、気がつかずに帰られるお客さまもいらっしゃるのですが、

    今回は、備え付けのカードに

    ・出身小学校

    ・年齢

    ・好きな教科

    ・好きな給食

    ・小学校の思い出(授業、給食、休み時間、運動会、遠足、修学旅行/楽しかったこと、いやだったこと)

    を書いていただいています。

    8月22日現在、87枚のカードが掲示されています。

    今回の企画展は、ご家族連れで来場されるお客様が多く、未就学児さんから70代まで、

    幅広い年齢層のお客様に書いていただいています。

    読んでいると、くすっと笑ってしまったり、わかるわかると共感したり、へえ~と驚かされたり。

    結局、企画者が一番楽しませていただいているようです。

    その中から、給食に関するコメントをいくつかご紹介しようと思います。

     

    給食に関する思い出で多かったのが、次のようなものでした。

    「小学校1年生の時苦手なメニューがあって食べてしまうまで残って食べていました。給食センターのトラックに食器が間に合わず悲しい気持ちになった思い出があります」(40代、福岡県)

     

    「いつも昼休みを過ぎ、5時間目が終わるまで机の上には給食セットが残っていた。帰りの会の時、口の中に無理やり押し込んで「食べました」と言って、学校外に出てすぐ吐き出すのが日々の給食でした」(60代、福岡県)

     

    給食時間内に食べ終わることができず、休み時間や掃除時間、5時間目までぽつんと残されることは、

    子どもにとってはかなりのトラウマですよね。

    私の小学生時代にも、食べ終わることができないまま掃除時間に突入し、

    机ごと教室の後ろに下げられてしまった友達がいて、見る方もツライ気持ちになったものです。

    同じようなご意見が、他にも多数寄せられていました。

    ・嫌いな給食を残したら、後日校長室に呼ばれて、校長先生と一緒に給食を食べさせられました(50代、熊本県)

    ・給食で食べるのがすごく遅く、それが嫌で、早く食べる練習をした事もあった(50代、福岡県)

    ・給食を食べるのが遅かったので、昼休みに教室に残されて、完食させられたのがつらかったです(50代、福岡県)

    ・食べるのが遅かったため掃除時間まで食べたり、牛乳が苦手で手洗い場に流したこともありました(10代、福岡県)

     

    読むだけで切なくなります…。

    また、こんなコメントもありました。

    「じゃがいものオレンジ煮が口に合わなくて、ほとんどの児童が残していた。いつもは注意する先生も、その日だけは何もおっしゃらなかった」(40代、福岡県)

     

    先生をも黙らせる「ジャガイモのオレンジ煮」。ちょっと味見してみたいような…。

     

    いきなりつらい思い出からご紹介しましたが、一方で、こんなコメントもありました。

    「牛乳があまったとき、毎回牛乳ジャンケンに参加して、1日2本牛乳を飲んでいました」(20代、福岡県)

     

    「給食の時間、当日欠席だった人の分をじゃんけんで勝つと食べる事ができた!「残してはいけない」きまりだったので、クラス中で協力し合いながら皆で完食していた」(40代、福岡県)

     

    残ったおかずやデザートの争奪じゃんけん、ありましたありました!

    みんなで協力して「完食」というのは、いいですね。

     

    ところで、みなさんに書いていただいた、「好きな給食のメニュー」では、ダントツ人気が

    カレー

    でした。

    なんと、87名中32名がカレーを挙げておられました。

    なかには、

    「学校給食のカレーが人生で一番おいしいカレーでした」(30代、福岡県)

     

    こんなコメントもありました(笑)。

    「人生で一番」というのは小学校生活の楽しい思い出込みの評価でしょうか。

    でも確かに、給食のカレーってすごくおいしかったです。

    私も小学生の時、母に「給食と同じカレーを作ってくれ」とごねて、困らせたことがあります。

     

    一方で不人気№1は、これまたダントツで、

    脱脂粉乳

    でした。

    これは経験された世代、知らない世代に分かれますが、

    経験された方たちは口をそろえて「まずい!」とおっしゃっています。

    「1年生の時は脱脂粉乳。この世のものとは思えないほどまずかった」(50代、福岡県)

     

    「脱脂粉乳まずかった~!」(60代、福岡県)

     

    直接お話をうかがうことができたお客様から、

    「味も匂いもいやだったけど、冷めた時の表面に張る膜が本当にいやだった」

    という具体的なご意見もいただきました。

    このようにすこぶる評判が悪い「脱脂粉乳」は、

    終戦後、子どもたちに必要なたんぱく源として、GHQの公衆衛生福祉局長サムスが導入を強く主張し、

    日本の官僚も積極的に給食に取り入れたものです。

    しかし、子どもたちにとっては随分悩ましい存在であったようです。

     

    ここまで、人気・不人気のメニューを見てきましたが、他にこんな変わったメニューを挙げてくれた方がいます。

    「もなかに納豆が入っている『なっぴー』なるものが出たことがあります。つめたかったのでアイスかと思ったら納豆で、びっくりしたのを覚えています」(40代、佐賀県)

     

    「なっぴー」というかわいらしい名前の割に、かなり攻めた食べ物のようです。

    北海道の食べ物らしい、ということで、早速インターネットで検索してみました。

    すると「Now Pea」(ナゥピー)という北海道の食品がヒットしました。

    学校給食で提供されていたものが、現在では店頭でも販売されているそうです。

    (昔はナッピーという名称だったそうです)

    果たして、もなかの皮に冷凍納豆が入っているおやつ?でした。

    このコメントをくださった方は、味について書かれてていなかったものの、

    確かに「アイスもなか」と思ってかぶりついて、中身が納豆だったら、

    その衝撃はいかほどか、想像にかたくありません。

    ただ納豆好きとしては、ちょっと試してみたい一品です。

     

    このほか、北海道出身の方が好きな献立として挙げてくださった「味噌ラーメン」、

    長崎県出身の方の「ちゃんぽん」、熊本県出身の方の「太平燕」などから、

    その地域の郷土料理が給食に取り入れられていることがわかりました。

    地域や学校によって、さまざまに異なる給食のメニュー。本当に興味深いです。

     

    また、調理士をされていたお母さまの思い出や、

    離島の小学校の給食事情について書いてくださった方もいて、

    非常に読み応えのあるバラエティに富んだコーナーになっています。

    展示室の中も楽しいですが、ご来場の際には、

    ぜひこの小学校の思い出コーナーもご覧になってください。

    そしてあなたの思い出を残して帰ってください!

     

     

     

     

     

    2019年7月25日

    講演会を開催します

    企画展「学校給食ヒストリー」の関連イベントとして、講演会を開催いたします。

     

    講師は、日本経済大学の竹川克幸先生。

    竹川先生は、福岡県内の食文化や、筑前地方の鶏肉・鶏卵の食文化史研究の第一人者で、

    テレビやラジオでのコメントされることもあり、今回も楽しいお話を聞かせてくださると思います。

    (今朝のNHKアサイチ(福岡の鶏料理特集)でも、パネルでご出演されていましたよ!!)

    タイトルは、

    「記録・文献史料にみる福岡県の食文化誌

    ~福岡の鶏肉・鶏卵の食文化を中心に~」

     

    です。

     

     

    食文化といえば、

    わたしの祖母の家は長崎県の「東彼杵(ひがしそのぎ)」という町にありまして、

    この町は古くから鯨肉の流通拠点として栄えた町です。

    くじらはスーパーで普通に販売されていて、お正月やお盆などで親戚が集まると、

    鉢盛には、赤身やおばいけ、百尋(ひゃくひろ)など、さまざまな部位が並び、皆で舌鼓をうったものです。

    普段も、肉じゃがのお肉のかわりにくじらを入れたり、湯かけくじらなどは、よく食卓に並びました。

    子どものころは、全国の家庭で普通にくじらを食べていると思っていたので、

    そうではない、と知った時は結構ショックでした。

     

    地域の歴史が独自の食文化を生み、郷土料理として定着していくわけですが、

    その流れを逆にたどることはとても興味深いと思います。

     

    福岡県も、各地域で独自の食文化が残っています。

    自分たちが当たり前だと思って食べている料理のルーツはなんなのか、

    地域の歴史との関わりを知ることで、その料理に対する見方が変わるかもしれません。

    今回の講演会は、そうしたことを考えるきっかけになると思います。

     

    「記録・文献史料にみる福岡県の食文化誌

    ~福岡の鶏肉・鶏卵の食文化を中心に~」

    とき:7月27日(土)午後2時~4時(受付 午後1時30分~)

    ところ:福岡共同公文書館 2階研修室

    定員:80名(事前申し込み・先着順)

    申込先・お問い合わせ:福岡共同公文書館(092-919-6166)

    ぜひ、ふるってご参加ください。

    2019年7月24日

    夏の企画展はじめました

     「冷やし中華はじめました」風タイトルですけれども。

     

    令和元年度第1回企画展として、「学校給食ヒストリー」

    7月23日(火)から始まりました。

     

    今回は、学校給食の歴史がテーマです。

    また、給食の舞台であった小学校の歴史もあわせて見ていただける展示になっています。

    当館の、気は優しいけど見た目がイカツイ公文書さんたちを盛り上げるために、

     福岡県学校給食会さま

     筑紫野市歴史博物館さま

     久留米市教育委員会さま

    から、強力な助っ人(資料)に来ていただいております。

    文書とモノ資料とレプリカ、色とりどり、形さまざま、内容もおもしろく、

    目にも楽しい展示になっていると思います。

    公文書、写真、モノ資料で、草創期の小学校の歴史をご紹介しています

    こちらは、昭和20年代の資料。夏休みの宿題の定番「夏休みの友」です。昭和23年から、すでに小学生のお友達だったんですね

    各年代の給食の献立のレプリカを展示したコーナーもあります。おいしそう…

    福岡県の県産品を使った給食の食品の数々

     

    おじいちゃんが子供のころって、小学校あったと?

    お母さんの好きやった給食ってなに?

     

    子どもたちからそんな質問を受けてしまったおじいさま、そしてお母さま。

    どうぞ「学校給食ヒストリー」へお越しください。

    展示を見て、お話に花が咲くと思います。

     

    エントランスでも、パネル展示のほか、

    石盤・石筆体験コーナーやアルマイト食器にさわれるコーナー、

    小学校の思い出を書いて壁に展示してみるコーナーなど、

    色々なコーナーを準備しておりますので、

    夏休み中のお子さまをさそって、帰省中のお友達をさそって、

    ぜひぜひ遊びにきてください!

     

    エントランスでも、給食の歴史年表パネルや、福岡県内の郷土料理のパネルなどを展示しています

    なつかしのアルマイト食器にさわってみるコーナー。なにやら使い方をまちがっているひとがいますが‥

    小学校の思い出を記入するコーナー。小学校の机に向かって、当時の思い出をカードに書いて、壁面に貼りつけてください。壁のカードは、今後このブログのなかでもご紹介していく予定です

     

    しょこらも書いてます

     

    おまちしています!

    2019年1月25日

    寒い朝

    こちら、九州は福岡県筑紫野市。

    日中暖かい日が続いています。

    暖冬ですね。

    例年なら、この時期は、朝出勤しようと思うと、車のフロントガラスが凍りついていて、

    「遅刻する~」と自分も凍りつく…ということが、頻繁にあるのですが、

    今冬はフロントガラスガッチガチ体験、それほど味わわずにすんでいます。

    それでも、筑紫野市は内陸部に位置し、朝はぐんと冷え込みます。

    今朝も、公文書館の植込みに霜が降りていました。

    今日はお天気なので、昼間はまた暖かくなりそうです。

     

    2月5日から、冬の企画展が始まります!

    お楽しみに!

    イベント好きなしょこらは、ちょっとうかれてます‥。

    2018年9月19日

    明治初期の人相書―企画展展示資料より―

    企画展も残り日数がわずかとなってきました。

    大変だった準備作業の日々を、

    「あの頃はワクワクして楽しかったよな~」と懐かしく思い出す今日この頃です・・。

     

    さて、今回の企画展、錦絵もさることながら、福岡県立図書館からお借りした、

    「福岡県史稿」という資料が、これまたすごくおもしろいものでした。

    佐賀の乱や秋月の乱、西南戦争に関する電報綴り、事件に関する県と関係地域の戸長とのやり取り、

    事件の捜査の探偵書、取調書などなど、読めば読むほど興味がつきません。

    ただ、展示する上で、「文書」はなかなか悩ましい存在です。

    中身を読んでもらわないと意味も面白さもわからない。

    でも、古い文書は、くずし字で書かれていたり、文語体で書かれていたりして、

    なかなか読みづらい。

    すっきりと、わかりやすく、それでいて「文書」の持つ面白さを十分に伝える・・・

    これは、公文書館における展示の大きな課題ではありますが、

    せっかくブログなぞやっていますので、この場を借りまして、

    展示中の文書資料をご紹介してみよう、と思います。

     

    今回展示している県立図書館所蔵「福岡県史稿」のなかで、比較的読みやすく、

    内容がわかりやすいのが、逃亡者捜索のための「人相書」です。

    現代でも、指名手配犯のモンタージュ写真や似顔絵が、交番や公共の建物などに掲示されているのを

    目にします。時代劇でも、高札に下手人の似顔絵を掲示している場面を見かけますが、江戸時代以来、

    人相書といえば、姿かたちの特徴を箇条書きで示すのが一般的でした。

     

    ご紹介するのは、西南戦争のさなか、明治10年3月に発生した「福岡の変」の首謀者の一人、

    武部(建部)小四郎の人相書です。

     

    西南戦争が始まると、福岡でも西郷軍に呼応して挙兵をもくろむ、越智彦四郎、武部小四郎ら

    士族たちの動きが活発化し、ついに明治10年3月末、決起して福岡城を襲撃します(「福岡の変」)

    が、あえなく失敗に終わります。越智彦四郎らの敗走を知った、別動隊の武部小四郎は、

    逃走して身を隠します。この武部小四郎捜索・捕縛のために、福岡県は人相書を作成しました。

    「福岡県史稿 福岡県暴動ニ付達書留他」の建部(武部)小四郎の人相書

     

    人相書

    士族 建部小四郎

    三十四、五歳位

    一、丈  高く痩たる方  (身長:高く痩せている)

    一、顔  長き方     (顔:面長)

    一、色  白き方     (色:色白)

    一、髪  斬切      (頭髪:ザンギリ頭)

    一、眼  大なる方    (眼:大きい)

    一、眉  常体      (眉:普通)

    一、鼻  高き方     (鼻:高い)

    一、唇  常体      (唇:普通)

    一、歯  掽       (歯:掽※並んでいるほどの意か)

    一、音声 穏なる方    (声:穏やか)

    一、宗旨

     

    当時の人相書はだいたいこんな感じですが、逃亡時の服装や持ち物の特徴などを

    記したものもあります。

    それにしても。

    むむ。

    年の頃は三十四、五。痩せて背が高く、色白、面長、鼻が高く、短髪で、穏やかな声…。

    正直、こんな人、どこにでもいそう…。

     

    しかし、福岡上土居町に潜伏中だった武部小四郎は一ヶ月後に捕縛され、斬罪に処せられます。

    現代と比較して地域コミュニティの力が強かった時代ですし、

    意外と今よりは身を隠しにくかったのかもしれません。

     

    この人相書が綴られている、「福岡県史稿 福岡県暴動ニ付達書留他」には、

    他にも「福岡の変」に関する興味深い資料が多く、丁寧に読んでいくと、

    当時福岡を騒がせた事件の詳細が浮かび上がってきます。

    「福岡県史稿 諸方電報綴」では、当時この事件に関して、中央政府や近県知事たちと通信した

    電報が残っており、そのスピード感に満ちたやり取りからは、ニュースを見ているような臨場感を

    味わうこともできます。

    また、福岡県公文書「辞令原簿」には、この福岡の変の鎮圧に参加した巡査たちの

    負傷の様子が記載され、通史では「決起したものの失敗に終わった」と

    簡単に描かれる福岡の変の断片が、被害者を通して垣間見えますし、

    また地元紙「筑紫新聞」も多くの紙面をさいて、「福岡の変」について報じています。

    人相書も含め、事件と同時代のこうした文書資料を丹念に読み解くことで、

    通史では数行で片付けられる事件の骨組みに肉付けをすることができます。

    文書資料は、一見とっつきにくいけれど、

    仲良くなれば、いろんなことを教えてくれる、魅力的なツンデレさんなのです。

     

    あ。

    人相書は、秋月の乱に関しても展示していますので、展示が終了する前に見に来てくださいね!

     

    2018年9月4日

    企画展も後半戦!

    「暑い、暑い」と言っているうちに8月が過ぎ去り、

    いつの間にか、9月がやってきていました。

    しかし、まだ暑い。。。

     

    さて。

    7月18日(水)から開催している、企画展「西南戦争―かけめぐる情報―」も、

    折返し地点を過ぎました。

    酷暑であったにも関わらず、7月8月と、来館されるお客様の数も順調でした。

    足を運んでくださった皆様、ありがとうございました。

    8月21日(火)からは、展示資料の一部を入れ替えまして、装いも新たに、

    絶賛開催中!

    でございます。

     

    今回の展示替えでは、19点の錦絵資料を入れ替えています。

    限られた開催期間中、なるべく多くの錦絵を見ていただきたい、ということで、

    大幅に入れ替えております。

    入れ替え資料の一部
    「〔極征〕勝陣揚」(梅堂国政画、明治10年3月24日届)

     

    先日来館されたお客様から、

    「くずし字が読めたらもっと面白いのになあ…」というご意見を聞き、

    錦絵中の詞書(ことばがき)を活字化したパネルや、

    作品解説のパネルを増やしております。

    (スペースの関係で、すべての資料に対応することができませんでしたが・・)

     

    今後とも、展示や展示資料に関して、ご意見やご質問がありましたら、

    どんどん当館へお寄せください。

    お客様の声を参考にして、今後とも楽しい展示を企画していきたい、と思っています。

     

    「西南戦争―かけめぐる情報―」も、残り3週間です。

    久留米と北九州からやってきた、錦絵の数々。

    県立図書館からやってきた、電報資料の数々。

    貴重な原資料をこのように一覧できる機会は滅多にありません。

    この機会を逃さず、ぜひぜひ福岡共同公文書館へ足をお運びください!

    しょこらも待ってます

     

    2018年8月3日

    企画展開催中!

    毎日、暑いですね~。少し外に出ただけで、溶けそうです。

    こんな時は、ぜひ公文書館へお越しください!

    冷房が効いていますし、休憩コーナーもございます。

    そして何より。

    現在、企画展を開催中でございます!

     

    今年度第一回企画展は、「西南戦争―かけめぐる情報―」です。

     

    今年2018年は、明治維新から数えて150年です。明治10年に起こった西南戦争からは、ちょうど140年の節目。

    大河ドラマでも「西郷どん」が放送されていますね。

     

    西南戦争中、電報によってほぼリアルタイムで情報が伝達され、

    新聞や錦絵によって戦況が全国に報道されたことをご存知でしょうか?

    幕府が倒れ、日本の近代化が始まってから、わずか10年後の話です。

     

    今回の展示のテーマは、西南戦争をめぐる「通信」「報道」です。

    電報がいかに戦況を伝え、新聞と錦絵がいかに戦況を報道したか、ということを、当時の資料を用いてご紹介しています。

    展示風景。錦絵の拡大パネルでは、細部までしっかりと見ていただけます。

     

    何と言っても、見どころの一つは、豊富な錦絵資料です。

    今回は、北九州市立大学の生住先生、久留米大学の大庭先生のご協力を賜り、

    両大学および先生個人が所蔵されている貴重な錦絵を多数展示しております。

    なかには、明治7年頃から14年頃にかけてのきわめて短期間しか発行されなかった、珍しい錦絵新聞や、

    判じ絵になっていて絵解きするとさらに面白い風刺画などもあり、

    どれもこれもじっくりと見ていただきたいものばかりです。

    西南戦争もの錦絵ということで、明治10年に発行されたものが多いのですが、

    つい最近刷られたか、と見紛うほど色鮮やかで美しい状態です。ぜひ、来館して実際の資料をご覧ください。

     

    展示資料「西郷隆盛戦死ノ図」(大判三枚続錦絵、細木年一画、明治10年10月6日届、個人蔵)
    ※記事「賊魁(ぞくくわゐ)城山の岩崎谷に於て 官軍の重囲(ぢうい)に陥落(おちいり) 進退窮迫(きうはく)する処 許多(あまた)の官兵進み来り 終に西郷隆盛を生捕(いけどり)にせんと 組打に相なる処 別府新介駈(かけ)来り 隆盛の首(くび)を打落し 城山岩崎(いわさき)の土中に埋(うめ)し由 絵入新聞に見ゑたり」 
    ★この資料の展示は8/19まで

     

    また、もう一つの見どころが電報です。福岡県立図書館所蔵の資料を多数展示しております。

    明治10年当時、実際に福岡県と各府県や政府との間でやりとりされた電報の記録は、

    臨場感にあふれ、読めば読むほど興味が尽きません。

    電報資料はカタカナ表記なので、くずし字が苦手だわ、という方にも、容易に読んでいただけると思います。

     ▲明治10年3月7日午後9時25分に久留米支庁から福岡本庁へ送信された、田原坂の戦況を伝える電報資料。

     「サクジツ タハラサカ ノリトリタル ヲモムキ ゴホウチセシトコロ ゴゴハチジマデ ゲキセン ダイバ ニカシヨ セメトリタレドモ ノコリイツカシヨノダイバヲ ゾクカタクマモリ・・・」(「福岡県史稿 諸方電報綴 第3号」(福岡県立図書館蔵))

     

    また、エントランスでは、西日本新聞社から借用した福岡の新聞の歴史についてのパネルや、

    電報でたどる西南戦争として、電報資料をわかりやすくパネル化した展示も行っておりますので、

    こちらもあわせてご覧ください。

    多種多様な錦絵の数々

     

    エントランスに展示した西日本新聞社作成のパネル。福岡の新聞黎明期から現在の西日本新聞にいたるまでの流れがよくわかります。

     

    「電報でたどる西南戦争」コーナー。福岡県立図書館所蔵の電報資料のなかから、西南戦争の主要な戦況部分を抜き出しています。電報の簡潔な文章から、時々刻々と動いていく西南戦争の様子がよくわかります。

     

    8月20日(*休館日)に資料の入れ替えを行います。

    8月19日()までしか見られない錦絵もありますので、ぜひお早めにお越しください!

     

    福岡共同公文書館
    所在地 〒818-0041 福岡県筑紫野市上古賀1-3-1 アクセスマップはこちら 電話 092-919-6166 FAX 092-919-6168 E-Mail kobunsyokan@pref.fukuoka.lg.jp
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