今回は苅田町(かんだまち)の紹介です。
◆苅田町の位置◆
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苅田町は福岡県の北東部、北九州市(きたきゅうしゅうし)と行橋市(ゆくはしし)の間に位置する人口約 3 万7千人、面積約 49 平方キロメートルの町です。東側は周防灘(すおうなだ)に面する一方、西側には緑豊かな山々が連なり、最近では「ご当地アルプス」の一つ『苅田アルプス』として全国的な山岳雑誌でも紹介されたりしています。
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『苅田町自然環境調査研究報告書』平成14年度 苅田町行政資料(2-4-0012530)
◆交通アクセス◆
東側の海と西側の山々の間を国道10号線、東九州自動車道、JR日豊本線(にっぽうほんせん)が南北に走っています。そして臨海工業地帯が広がる苅田港、その沖の北九州空港と、陸・海・空の交通アクセスが充実しています。
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『北九州空港協議会広報誌』令和5年度 北九州市行政資料(2-4-0001170)
◆苅田町の誕生◆
1955(昭和30)年1月1日、旧苅田町・小波瀬村(おばせむら)・白川村(しらかわむら)の3者が合併し、新生の苅田町がスタートします。その際、小波瀬村の一部地域が行橋市との合併を望み、あわや分村かという事態にもなったようです。遺された文書の日付を見ると昭和29年11月から12月に掛けてであり、新苅田町誕生まであと数日というカウントダウンの最中に持ち上がった、なんともスリリングな一件のようです。しかし数年かけて円満解決できた模様で、その後歴史を重ね今年2025(令和7)年は合併70周年の記念の年に当ります。
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『市町村の廃置分合』昭和30年度 福岡県公文書(1-1-0024676)
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『広報かんだ 2024年度』令和6年度 苅田町行政資料(2-4-0024338)
◆重要港湾・苅田港◆
苅田町発展の基礎となった苅田港ですが、その出発点は古く、1926(大正15)年当時の苅田町にあった豊国セメント株式会社と浅野セメント株式会社がそれぞれ別々に提出した「公有海面埋立願」まで遡れるようです。豊国セメントの書類には、筑豊産の石炭を積出すのに門司港まで迂回する不便や、地方開発の重要性も指摘されていますが、この時からしばらくはまだ築港の機運が盛り上がること無く実現しませんでした。
しかし1936(昭和11)年の福岡日日新聞は、内務省がこの豊国セメントの案をもとに苅田港修築を行う計画であると報じ、続いて1939(昭和14)年に内務省直轄工事としての修築が始まりました。そして1944(昭和19)年に供用を開始し、1951(昭和26)年には国の重要港湾(海上輸送網の拠点となる港湾)に指定されています。
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※豊国セメント株式会社の「公有海面埋立願」
『築港関係事績』昭和11年度 苅田町公文書(1-2-0002466)
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『築港関係事績』昭和11年度 苅田町公文書(1-2-0002466)
①
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※昭和後期の苅田港と平成後期の苅田港
①『苅田港 重要港湾』昭和62年度 福岡県行政資料(2-1-0011606)
②『苅田港 PORT OF KANDA 2015年重要港湾』平成26年度 福岡県行政資料(2-4-0002116)
ちなみに苅田港修築の言い出しっぺである豊国セメントですが、その後他社との合併・分離独立、再度の合併等を経て三菱マテリアルとなりました。そしてその工場夜景の美しさが全国的に注目を集め、マニアの間で「不夜城」とも「ラスボス」とも呼ばれる人気スポットとなりました。
現在はまたUBE三菱セメントと名称が変わりましたが、苅田町の臨港地区に存在し続けています。
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※半端ないラスボス感の旧三菱マテリアルの夜景
『グラフふくおか 2023秋(No.612)』令和5年度 福岡県行政資料(2-4-0023993)
◆苅田町と日産自動車◆
九州は全国有数の自動車関連産業が立地しており、「カーアイランド」とも呼ばれています。その嚆矢となったのが日産自動車九州工場の苅田町への進出です。
1975(昭和50)4月、資材や製品の輸送拠点となる苅田港をひかえた小波瀬臨界工業用地で操業を始め、1977(昭和52)年1月には生産第1号車となるダットサントラックが福岡県に寄贈されました。
続いて1982(昭和57)年には、乗用車の生産第1号車となるシルビアが福岡県警のパトカー用として寄贈されています。
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『福岡県工業技術センター 創立70周年記念誌』平成6年度 福岡県行政資料(2-1-0002093)
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『日産自動車・関連企業』平成6年度 福岡県公文書(1-1-0034625)
◆苅田町の文化財◆
工業都市の印象が強い苅田町ですが、貴重な文化財・歴史遺産も数多くあります。邪馬台国(やまたいこく)伝説にまつわる三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう/さんかくぶちしんじゅうきょう)を出土した石塚山古墳(いしづかやまこふん)、そして御所山古墳(ごしょやまこふん)はいずれも国指定史跡となっています。
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※石塚山古墳と三角縁神獣鏡。周辺の開発で原型が失われていますが、石塚山古墳は前方後円墳です。
『特別展 京都平野と豊国の古代』令和4年度 福岡県行政資料(2-4-0023459)
祭の歴史も古く、修験道の祭である等覚寺の松会(とかくじのまつえ)は約千年、苅田山笠(かんだやまがさ)は約五百年の伝統があります。
①
※昭和50年代中頃の等覚寺の松会
②
③
※こちらは平成中期頃・比較的最近の松会の様子
①『かんだ町勢要覧 昭和56年度』昭和56年度 福岡県行政資料(2-1-0018665)
②『広報かんだ 2010年度』平成22年度 苅田町行政資料(2-2-0000825)
③『広報かんだ 2011年度』平成23年度 苅田町行政資料(2-2-0000794)
①
②
※昭和50年代と60年代の苅田山笠です。40年近い昔の写真ですが、華やかさが伝わります。
③
※現在の苅田山笠。年とともに華やかさと賑やかさがパワーアップしているようです。
①『かんだ町勢要覧 昭和56年度版』昭和56年度 福岡県行政資料(2-1-0018665)
②『苅田町勢要覧 昭和63年度版』昭和63年度 福岡県行政資料(2-1-0016037)
③『広報かんだ 2024年度』令和6年度 苅田町行政資料(2-4-0024338)
次回の「公文書でめぐる ふるさと福岡」もお楽しみに!