福岡公文書館ブログ

CALENDAR

  • 2021年9月
    « 8月    
     12345
    6789101112
    13141516171819
    20212223242526
    27282930  
  • カテゴリー: 展示情報

    2021年8月3日

    企画展 はじまりました!

    令和3年度第1回企画展「福岡県政150年 第2部アジアのなかの福岡へ」

    8月3日(火)から始まりました。

    昨年度は、新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、夏・冬の企画展を見送ったため、

    夏季としては2年ぶりの企画展開催ということになります。

    今回のテーマは、ずばり「福岡県政」です。

    というのも、今年は明治の廃藩置県から数えて150年目に当たるので、

    福岡県の150年をふり返ろう、というのが企画展のテーマです。

    とはいっても、150年の間にはたくさんの出来事があり、

    とてもとても当館の展示室にはおさめきれません。

    そこで今回は、九州歴史資料館と共に、2部構成で開催することになりました。

    明治から太平洋戦争終了直後(公選知事誕生まで)を九州歴史資料館が、

    終戦後(公選知事誕生から)から現在までを福岡共同公文書館が、

    それぞれ展示をいたします。

    2館通してご覧いただくと、福岡県政150年の流れがよくわかると思いますので、

    ぜひ合わせてご観覧ください。

    (左が九州歴史資料館、右が福岡共同公文書館の展示ポスター)

     

    さて。

    福岡共同公文書館で開催する「福岡県政150年~第2部アジアのなかの福岡へ~」について

    少しご紹介させてください。

    「県政」と聞くと、ちょっとわかりにくそう、とか、

    身近なテーマじゃないから、興味が持てない、

    と思われる方もいらっしゃるのではないかな、と思います。

    でも、私たちの暮らしの困ったことや、もう少しこうなるといいのにな、

    ということを解決していくのが行政の役割なので、暮らしに密着したテーマがたくさんあります。

    「災害」「雇用」「交通」「環境」「教育」などなど。

    (山陽新幹線博多延伸に関する展示)

    (農産物のブランド化やスペースワールド、ネイブルランド建設計画に関する展示)

    (新旧 県庁舎に関する展示)

     

    終戦後から今日までの75年、県内ではどのような問題が起こり、

    福岡県や関係市町村はどのようにそれに対応していったのか、

    未来にどのような目標をたてて進んできたのか、を知っていただくのが今回の企画展です。

    「あのダムってどうして作られたの?」

    「地下鉄っていつ開通したの?」

    「福岡っていつごろから人口が増えたの?」

    そうした「?」にちょっとでも答えが見つかったら、うれしいです。

     

    また、エントランスでは、

    県と県内市町村の役場や町の風景の「いま」と「昔」をふり返る写真展

    「なつかしの写真展~あの日のふくおか~」を開催しています。

    市町村へ呼びかけをして、寄せていただいた写真たちを、市町村ごとに展示しています。

    現在住んでいる町、学生時代に住んでいた町、親せきやお友達が住んでいる町、

    そんな町の懐かしい風景を見に来ませんか?

    (県・市町村の「役場」が一堂に会しています!いろんなデザインがあって楽しいです)

     

    企画展、写真展は、8月3日(火)~9月26日(日)まで開催中です。

     

    コロナ禍ではございますが、福岡共同公文書館では、感染防止対策に力を入れ、

    皆様のご来館をお待ちしております!

     

     

    
    

     

     

     

     

    2021年6月10日

    特集展示はWeb展示でお楽しみください

    福岡県は、緊急事態宣言が延長になりました。それに伴い当館も6月20日まで臨時休館を継続することになりました。

    当館では5月11日より常設展の特集展示「ふくおか スポーツの軌跡(リバイバル)」 を行っていましたが、開始した次の日から休館になってしまいました。そこで、少しでも皆様にお楽しみいただけるよう、展示資料の一部をホームページ上で公開しています!

    当時、直方市内で行われた聖火リレーの様子が記録されている『オリンピック東京大会聖火リレー写真集』(直方市公文書)や福岡で開催されたスポーツイベント(「とびうめ国体」「ねんりんぴっくふくおか」)等を「Web展示」として紹介しています。

    詳しくはこちらからご覧ください!

    また、広報誌『福岡共同公文書館だより第17号』を発行しました。こちらもホームページ上でご覧いただけます。 ▼第17号(PDF)

    これからも、ホームページ上で情報を発信していきたいと思います。

    2021年5月13日

    緊急事態宣言の発出に伴い公文書館を休館します

    福岡県が5月12日(水)から緊急事態宣言の対象地域に追加されることになり、当館も12日(水)~31日(月)まで臨時休館とさせていただきます。

    福岡県では、東京オリンピックの聖火リレーが11日から2日間、公道でのリレーはすべて中止され県内の2か所に集約して点火セレモニーだけが行われました。当館においても聖火リレーに合わせて、常設展の特集展示「ふくおか スポーツの軌跡(リバイバル)」 を5月11日(火)より行っていましたが、開始した次の日から休館になってしまいました。

    今回の特集展示は、令和2年2月4日(火)~3月22日(日)に開催した企画展を一部リニューアルしたものです。この企画展も開催期間中に、新型コロナウイルス感染症の感染とその拡大防止のため令和2年2月28日(金)より臨時休館となったため、今回「リバイバル」で展示を行うことにしました。またしても、休館になってしまいましたが、しばらくは、Web展示でお楽しみいただけたらと思います。

    なお、休館中も、電話、ファクシミリ、メール等による収蔵資料等についての問い合わせや相談については対応いたしております。

     

    2021年2月18日

    公文書でめぐる ふるさと福岡 ~岡垣町~

    1月は「いく」、2月は「にげる」、3月は「さる」といわれているように、気が付けば2月も半ばを過ぎていましました。

    さて、「公文書でめぐる ふるさと福岡」今回は岡垣町です。

    岡垣町(おかがきまち)は)、福岡市と北九州市の間に位置し、町の東部は芦屋町(あしやまち)と遠賀町(おんがちょう)、西南部は孔大寺(こだいし)山系を隔てて宗像市(むなかたし)に接し、北部は響灘(ひびきなだ)に面し、三里松原(さんりまつばら)が美しい海岸を形成しています。町の総面積は48.51平方キロメートルで、遠賀郡(岡垣町・芦屋町・水巻町(みずまきまち)・遠賀町)の総面積のはぼ半分を占めています。

     

    「おかがき」という町名の由来

    1907(明治40)年に岡県村(おかがたむら)と矢矧村(やはぎむら)の二つの村が合併して岡垣村が誕生しました。明治維新後、廃藩置県の影響で誕生した二つの村は、基本的な風俗や性格に共通する部分が多く、加えて日本国有鉄道(現在のJR)の停車駅の誘致運動なども影響して次第に合併の機運が高まってきました。しかし、そこで問題となったのが新しい村名でした。岡県村は「矢矧村も古くは岡の県だったから岡県村とすべきだ」という声がありました。一方の矢矧村は「神功皇后(じんぐうこうごう)の時代に、当時武器である弓矢を作った故事から名付けられた矢矧川が村名の由来なので、こちらも由緒正しい名前だ」と意見がまとまりませんでした。そこで、当時の遠賀郡の郡長(郡の行政をつかさどる長官)が、「岡県の岡と古くからこの地を垣崎(かきさき)と呼んでいたことから垣をとり、『岡垣』とする」という決定を下したのです。こうして、村名を残せなかった矢矧村の名前は、矢矧川にその名を残し、また1910(明治43)年に開業した日本国有鉄道の駅に、矢矧村の中心地であった「海老津(えびつ)」の名を残し今日に至っています。そして、55年後の1962(昭和37)年10月1日に岡垣村から岡垣町になりました。

    「(昭和37年十月)町制施行に関する事績」 (1-2-0033643)

    遠賀郡の合併

    遠賀郡ではで1998(平成10)年から合併に関する動きが始まりました。1999(平成11)年)に「遠賀郡4町合併任意協議会」が発足しました。この協議会は2001(平成13)年に解散しましたが、2003(平成15)年に「遠賀郡4町合併協議会」(法定協議会)が設置されました。その後、合併に向けての協議が進められましたが、2004(平成16)年9月5日(日)に岡垣町では合併に関する住民投票が行われ、そこで反対が賛成を上回ったため、岡垣町は合併協議会から離脱を表明しました。その結果、4町での合併は断念することになり「遠賀郡4町合併協議会」は同年10月31日の解散することになりました。

    「遠賀郡4町合併に関する住民投票(③)」(1-2-0033634)

     

    岡垣町の周年行事

    1962(昭和37)年10月1日に町制施行した岡垣町では、1977(昭和52)年町制15周年、1982(昭和57)年町制20周年、その後10年度とに周年記念事業を行っています。

    町制20周年記念事業において「岡垣音頭」(レコード)を制作し、40周年記念事業において「変わらない岡垣(ふるさと)」というイメージソングを制作しています。また今回、参考にした「岡垣町総合学習副読本 おかがきナビ おかがきの、いいとこ探そう!」(小学生向け)は町制50周年を迎え、ふるさと岡垣町のことをもっと知ってもらい、ふるさとを誇りに思い、愛する心を育ててもらいたいという気持ちをこめて作成されたそうです。

     

    「(昭和57年度)町制20周年事業(事績綴)」(1-2-0033648)

             「岡垣町イメージソング 変わらない岡垣(ふるさと)」(2-4-0012647)

    「岡垣町総合学習副読本 おかがきナビ おかがきの、いいとこ探そう!」(2-2-0000881)

     

    現在、当館で開催中の「常設展 冬」「特集 公文書のいろいろ」において30周年をアピールするために作成されたのぼり旗を展示しています。

     

    2012(平成24)年に町制施行50周年を迎えた岡垣町は交通網の整備や団地の開発が進められ、自然環境にも恵まれた住みよい街として発展しています。

    岡垣町から移管された公文書は令和2年1月現在455冊です。また公文書のほか岡垣町が作成した行政刊行物も所蔵しています。

    それではまた、次回「公文書でめぐる ふるさと福岡」をお楽しみに!

    2021年1月6日

    公文書でめぐる ふるさと福岡 ~宇美町~

    新しい年を迎えました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。福岡共同公文書館は1月5日(火)より「三密」に気を配りながら開館しています。

    昨年は大変な年でしたが、今年は少しでも良い兆しが見えるとよいですね。

     

    さて、「公文書でめぐる ふるさと福岡」は今回「大木町」の予定でしたが、予定を変更して今回は宇美町を紹介します。

     

    宇美町(うみまち)は、福岡都市圏に属する糟屋(かすや)郡の町で、西は大野城(おおのじょう)市と福岡市、北西は志免(しめ)町、北は須恵(すえ)町、東は飯塚(いいづか)市、南は太宰府(だざいふ)市と筑紫野(ちくしの)市にそれぞれ隣接しています。

    東部は砥石山(といしやま)(828m)、三郡山(さんぐんざん)(936m)、頭巾山(とっきんざん)(901m)、仏頂山(ぶっちょうざん)(868m)などの三郡山系と、南部は四王寺(しおうじ)山塊の大城山(おおきやま)(410m)に囲まれており、町の面積のおよそ6割を豊かな森林が占めています。

     

     宇美町の歴史は古く、西暦665年に築城された日本最古の古代山城「国指定特別史跡 大野城跡」をはじめ、近年、魏志倭人伝(ぎしわじんでん)に記載がある「不彌(ふみ)国」として本町が注目される根拠となった「国指定史跡 光正寺(こうしょうじ)古墳」などの史跡が多くあります。また、古事記や日本書紀に、神功(じんぐう)皇后が応神天皇を出産された地を「宇美(産み)」と呼ぶようになったという記述があるように、安産の神様として全国的に有名な宇美八幡宮があります。                                  (宇美町 HPより)

     なお、宇美町から移管された文書は、令和3年1月現在で約140冊です。

    大正9年(1920年)10月に糟屋郡で最初に町制を施行して誕生した宇美町は、令和2年(2020年)に町制100周年を迎えました。

     

     

     

     

     

     

    「広報うみ町制施行100周年特別号」(2-4-0015161)

     

    今回、宇美町をご紹介したのは、当館で1月8日(金)より「常設展 冬」の

    「特集 公文書のいろいろ」

    と題してさまざまな記録媒体を紹介しており、その中で、宇美町からの移管文書も展示しているからです。

    展示で紹介しているのは、宇美町の「町勢要覧」です。「宇美町文庫」と題して表紙も本の写真が掲載されています。「町勢要覧」とは、町の概要や魅力を紹介するために写真や文章で分かりやすくまとめたものです。「〇〇年 △△町勢要覧」という表紙が多い中、パッと見たら「町勢要覧」とはわからないけれども、非常に目を引く表紙だと思いました。よく見ると表紙に掲載されている本の背は、「宇美物語」(歴史)、「宇美町散歩ガイド」(町の紹介)、「【近未来エッセイ】いま、明日のために」(総合計画の概要)、「Quiz-U」(クイズで楽しむ宇美町のアレコレ)と目次になっていて、とても遊び心のある表紙だと思いました。また、映像編も制作されています。

                           「宇美町文庫 DVD(映像編)」(2-4-0010253)

      「宇美町町勢要覧2005(宇美町文庫)」 (2-4-0006679)

     

    展示にちなんでもう一つ。展示の中で「市町村のオリジナルソング」を紹介しています。当館に所蔵がないので展示では紹介できませんでしたが、宇美町にも「宇美町町制施行70周年を記念して制作された「宇美町賛歌」という「町歌」があります。この歌は宇美町のHPからダウンロードできます。

    宇美町賛歌ダウンロード [MP3/2.69MB]

    かつては炭鉱の町として栄えた宇美町は、町制100周年を迎えた現在、福岡市のベッドタウンとしてとして成長を続けています。

    次回の「公文書でめぐる ふるさと福岡」もお楽しみに!

    2020年11月27日

    ミニ特集「公文書と〈害虫〉」より ③IPM日記

    朝晩冷え込んでまいりましたね。皆さま、秋の夜長の虫の声♪は耳にされましたか。

    今回は、常設展秋のミニ特集「公文書と〈害虫〉」より、文化財IPMと当館の【館内IPM】のお話です。またしても、虫の写真が出てきますので、苦手な方はご注意ください。IPMってなんだ?という方は前回のブログ「ミニ特集「公文書と〈害虫〉」より ②IPMとおまけの展示」をどうぞ。

    9月の館内IPM(トラップ調査など)の様子をご紹介します。(クリックすると各項目に移動します)

    (さらに…)

    2020年10月29日

    公文書でめぐる ふるさと福岡~筑後市~

    収穫の秋ですね、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

    『公文書でめぐる ふるさと福岡』今回は、筑後市をご紹介します。(筑後市HP

    筑後市

    筑後市は福岡県の南西部、筑後平野(九州最大の筑紫平野の福岡側)の中央に位置する田園都市です。市の南を流れる矢部川の流域は、縄文・弥生時代の集落跡である裏山遺跡があり、古くから人が住んでいた地域です。

    (地名がたくさん出て来ますので、末尾に地名等のよみがな対照表をつけています。)

    市内を南北に通る坊津街道ぼうのつかいどう(薩摩街道)は江戸時代の参勤交代の通り道で、羽犬塚はいぬづかはその宿場町でした。ややルートの変遷はあるものの、平安時代に編纂された『延喜式えんぎしき』(10世紀前半)の中にも「西海道さいかいどう」(古代飛鳥・奈良時代の幹線道路)の駅名として「葛野駅かどののえき」(現在の羽犬塚付近と想定される)が登場しており、九州縦断の交通の要衝であったことがうかがえます。(参考『福岡県百科事典』)

    筑後市から当館に移管された資料は9月末現在で789点です。年代が古いものは、明治時代の字図・一筆限竿入帳などの土地の台帳です。また、教育委員会作成の埋蔵文化財報告書では遺跡や西海道に関連する場所について調査したものも多いです。

    温暖な気候と、土壌や水にも恵まれた農業が盛んな土地で、米・麦・イグサ・ナシ・ブドウ・八女茶などが生産されています。炭酸泉の船小屋温泉郷や恋の木神社などの観光スポットがあり、「恋のくに筑後」と題して市をあげての婚活イベントなども盛んです。

    筑後市を紹介しながら、恋も応援するPR動画 恋のファーム♡Chiku−Go! ちくご恋するチャンネル(広報ちくご・筑後市公式Youtubeチャンネル)より

    筑後市内遺跡群Ⅳ 筑後市文化財調査報告書 第45集 (2-1-0019164)

    藩政時代には久留米藩に属していた地域で、明治22年(1889)町村制施行により、上妻郡かみつまぐんの羽犬塚村、二川村ふたかわむら下妻郡しもつまぐんの水田村、下妻村、古川村の五ヵ村が成立します。明治29年(1896)上妻郡、下妻郡は生葉郡いくはぐんの一部とともに八女郡となります。水田村(明治41年(1908)合体合併;水田村、下妻村、二川村)と、羽犬塚町(大正14年(1925);町制施行)と、古川村、岡山村(一部)が合併して、昭和29年(1954)4月に筑後市が誕生しました。その後、三潴郡西牟田町と八女郡下広川村の一部を編入して、現在に至ります。

    実は、筑後市は、常設展秋の特集「公文書と〈害虫〉」の中でご紹介している、明治の螟虫めいちゅう駆除とも深いかかわりがあります。今回は『筑後市史』2巻「益田素平と螟虫駆除法」に登場する、益田素平(八女郡江口村の老農、のち二川村長)と螟虫駆除に関連する資料をご紹介します。

    近世、農作物の〈害虫〉は、「虫」または、稲につく虫「いなむし」と呼ばれ、天災のひとつとされていました。民俗行事で今も残る虫送りや虫追いは、呪術的な害虫駆除による豊作祈願であり、虫供養は農作業の過程で駆除した虫への鎮魂でした。

    明治の福岡県では、品種改良や施肥の改善によって、茎が太く収量の多い稲がつくられるようになりましたが、この稲の茎を中から食す螟虫メイチュウ(螟蛾めいがの幼虫)による甚大な被害が発生します。

    (ニカメイチュウ写真提供:福岡県農林業総合試験場 病害虫部)
    螟虫というのは通称で、方言でスムシズイムシナカザシシンキリイネノドウムシカラクダシなどと呼ばれていました。稲の茎の中で幼虫が成長し、年2回(2世代)発生するので二化螟虫ニカメイチュウ二化螟蛾にかめいがの幼虫)と名づけられました。現在はあまり見られなくなりましたが、ウンカと並び稲作に大きな被害をもたらした〈害虫〉で、とくに筑後地方では、年3回発生する三化螟虫サンカメイチュウ三化螟蛾さんかめいがの幼虫、イッテンオオメイガ)による深刻な被害を受けていました。

    福岡で、県や明治政府に掛け合いながら螟虫駆除予防に尽力したのは益田素平をはじめとする筑後地方の老農ろうのうたちでした。老農というのは、西洋農学を学ばずに在来の農業技術の改良をおこなってきたひとたちのことです。益田は自身の試験田での研究と新しく知られるようになった西洋昆虫学の情報を照らし合わせ、稲の茎を中から食して穂枯れをおこすメイガの幼虫(特に、三化螟虫)の存在を確信します。1877(明治10)年、当時副戸長でもあった益田は「螟虫駆除予防稟申書」を福岡県に提出し、県の対応を求めます。県からも国へ上申し、内務省勧農局員の鳴門義民(青森のニカメイガと九州で発生していたサンカメイガについて、虫害の調査、駆除の方法の指導に当たっている)が派遣されます。鳴門との協議の結果、益田が提案した様々な防除方法の中から、稲刈りを終えた稲株をすべて掘り起こして寒気にさらし焼却する「稲株掘り起し法」が有効とされ、導入への働きかけが行われます。

    1879(明治12)年10月 メイガの被害町村連合会(三潴、八女、山門やまとの三郡)で益田素平・中島忠蔵(上妻郡島田村)・原口茂七(下妻郡常用村)ら螟虫研究老農たちが説明を行いますが、「稲株掘取」は時期尚早と採用されませんでした。代わりに18か所の螟虫試験所が設置されました。

     

    『福岡県における螟蟲(めいちゅう)駆除豫防の沿革 病害虫駆除豫防資料第15号』(1-1-0007432)附益田素平翁遺稿螟虫実験説

    1880(明治13)年10月、反対意見も多い中、益田素平・佐野貞三(三潴郡八丁牟田村、現大木町)らの啓発や渡辺県令の説示もあり、上妻下妻、三潴、山門の4郡聯合会れんごうかいで当年度の「稲株掘取焼却」による駆除予防の実施が採用されます。被害の大小にかかわらず収穫後の稲株を掘取焼却等処分をすることとされ、罰則もありました。しかし、県から強制される形で非常に労力の要る「稲株掘取」を行うことは、すぐには理解を得られず、同月反発する農民らによって「不掘取」を請願する「筑後稲株騒動」が起き、益田や佐野、郡長や議長が襲撃の対象となりました。三潴郡27カ村、上妻郡45カ村、800名に及ぶ逮捕者を出したこの騒動ののち、次第に農作物の〈害虫〉と駆除予防の必要性が理解されていきます。明治29年には、明治政府によって害虫駆除予防法が制定され、県の害虫駆除予防規則のもと行政主導の組織的な防除が行われるようになり、農業試験場での応用昆虫学や農法、薬剤の研究とともに農業の近代化がすすんでいきます。

     

    『二川村会決議録 八女郡二川村役場』(1-2-0005938)、『筑後市史 第二巻』(2-4-0005776)

    明治22年、益田素平は二川村の村長に就任しています。明治政府による「害虫駆除予防法」が公布された明治29年、福岡県令に基づき、二川村会は「苗代田並植田螟虫駆除規定」を制定しました。行政区ごとに取締人を選び、村の直営事業として苗代田なわしろでんの採卵と捕蛾とその買上、枯茎採取の夫役雇入れが行われました。また益田は、反発を招く原因となった稲株掘取の労力を減らし、稲株処理を普及させるための稲株切断器(株切鍬)も考案しています。

    螟虫駆除のために、益田らが提唱し各地の試験研究機関で研究されるようになった、遁作法、採卵、採蛾、稲株処理、誘蛾灯、虫害稲藁の処理など総合的な駆除対策は、現代の農業におけるIPM(Integrated Pest Management 総合的病害虫・雑草管理)の考え方とも通じるものがありますね。

    いかがでしたか?次回は福津市をご紹介します。お楽しみに。

    福岡共同公文書館では常設展の一部を入替、秋の特集「公文書と〈害虫〉」がご覧いただけます。Web展示で一部資料をご紹介しておりますので、そちらもどうぞ。

    ※地名等 ふりがな対照表 (参考:日本歴史地名大系41「福岡県の地名」平凡社、2004年)

    1. 坊津街道(ぼうのつかいどう)
    2. 羽犬塚(はいぬづか)
    3. 西海道(さいかいどう)
    4. 葛野駅(かどののえき):「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条にみえる筑後国の駅で、大宰府から筑後国を経て肥後・薩摩国府へ向かう薩摩路(小路)に設置された
    5. 上妻郡(かみつまぐん)
    6. 下妻郡(しもつまぐん)
    7. 生葉郡(いくはぐん)
    8. 三潴郡(みづまぐん)
    9. 山門郡(やまとぐん)
    2020年10月20日

    ミニ特集「公文書と〈害虫〉」より ①虫損をうけた公文書

    食欲の秋ですね、皆さまいかがお過ごしでしょうか。今回は、常設展秋のミニ特集「公文書と〈害虫〉」より、虫たちの旺盛な食欲で食べられてしまった資料のお話です。虫の写真が出てきますので、苦手な方はご注意ください。

    公文書館に移管される以前に、長い年月保管されている中で、劣化や災害、虫害などにあってしまった資料もあります。和紙に墨で書かれた資料は、水や湿気には弱いですが、正しく保存すれば1000年以上の寿命を持ちます。文化財害虫による食害を受けた状態で入ってきた資料も、大切な情報を持っています。また、そのままの姿の原本(一次史料)を保管しているからこそ、記録されている情報が証拠としての価値をもつ証明の一助にもなります。

    歴史公文書として受け入れる際には、目視点検によって、虫の死骸(生きた虫は出てしまった後のことが多いです)や蛹、卵、糞、カビなどを取り除き、ガス燻蒸による殺菌・殺虫・殺卵処理を行います。燻蒸後は、残った汚れを可能な限り取り除き、保存庫に収蔵します。保存庫に入れた後も、利用の際や定期点検の度に、状態を確認し、必要な手当てを過不足なく行い、環境管理を行うことが、資料保存業務の原則です。

    秋の特集展示、公文書と〈害虫〉では、通常は資料への負担をなるべく減らすために、保存庫からほとんど出すことがない、虫損(ちゅうそん)をうけた公文書をご紹介しています。

    (さらに…)

    2020年10月6日

    常設展一部入替のお知らせ 10月6日より

    10月になりました。秋の衣替えはおすみでしょうか。

    福岡共同公文書館では、今年度は新型コロナウィルス感染症の影響で、企画展は実施いたしません。

    その代わりに、常設展「公文書にみる福岡のあゆみ~福岡県の誕生と市町村合併~」の中の、ミニ特集「行政資料の世界」を入替え、秋のミニ特集「公文書と〈害虫〉」を10月6日より展示しております。ご来館の際には、ぜひ展示室にもお立ち寄りください。

    このミニ特集では『国際植物防疫年2020』にちなんで、近現代の福岡県内の病虫害防除・防疫に関連した資料をご紹介しております。
    展示ケース
    また、『文化財IPM』(文化財分野での虫やカビの害の予防対策の取組み)に関連して、通常は資料への負担をなるべく減らすために、保存庫からほとんど出すことがない、虫損(ちゅうそん)をうけた公文書もご覧いただけます。

    ご来館がむずかしい方にもご覧いただけるよう、Web展示にて一部資料のご紹介をしておりますので、そちらもどうぞ。

    粘着マット

    緑の粘着マットがお出迎えします。

    2019年10月18日

    パネル展~昭和の主基斎田(すきさいでん)~

    先週末は、台風19号の影響で、福岡でも強い風が吹きました。

    遠く離れた福岡でも、これほどの影響を受けるのだから、

    台風に近い場所はどれほどか…と思ってはいたのですが、

    次第に明らかになった被害の大きさに、愕然としました。

    本当に自然災害は恐ろしいです。

    被災地の皆様には、心からお見舞いを申し上げますとともに、

    一日も早い復興をお祈りいたします。

    また、なにか協力できることを探して実践していきたいと思っています。

     

     

    当館では、9月末に企画展「学校給食ヒストリー」が終了しました。

    企画展にご協力くださったみなさま、ご来場くださったみなさま、

    本当にありがとうございました。

     

    現在、当館展示室では、常設展「公文書に見る福岡のあゆみ」を、

    エントランスでは、パネル展「昭和の主基斎田~福岡県の記録から~」を行っています。

    このパネル展は、平成27年度の冬に行った同タイトルの企画展のリバイバル展示です。

    なぜ、いまさら3年半も前のパネルを展示するのか…といいますと、

    11月に大嘗祭(だいじょうさい)が行われるからです!

     

    大嘗祭は、新天皇が即位後初めて行う新嘗祭(にいなめさい)のことです。

    近代以降では、明治、大正、昭和、平成、そして令和と5度目の大嘗祭になります。

    この大嘗祭にコメを作って献上するのが、

    「悠紀(ゆき)」「主基(すき)」という二つの地域であり、

    その地域は、亀卜(きぼく)という亀の甲羅を使った占いで選ばれます(斎田点定の儀)。

    令和の大嘗祭では、悠紀が栃木県、主基が京都府に決定し、

    この二つの地域の田(斎田)で作られたコメは、先日大嘗宮に供納されました(新穀供納)。

     

    今をさること91年前、大正天皇崩御の後1年間の服喪を終え、

    昭和天皇の即位の礼と大嘗祭が行われたのが、昭和3年(1928)でした。

    その大嘗祭の主基地方に選ばれたのが福岡県です。

    この時の資料(公文書、写真)が、福岡共同公文書館に多数移管されており、

    主基斎田の詳細を知ることができます。

    平成27年度の企画展「昭和の主基斎田~福岡県の記録から~」では、

    公文書、写真、絵葉書、お田植衣裳など、関連資料の展示を行い、

    昭和3年の福岡県を大いににぎわせた、主基斎田という一大事業についてご紹介しました。

    この企画展を行ったときは、まさか次の大嘗祭がこんなに早く行われるとは思ってもいなかったのですが、

    せっかくよい機会なので、過去の企画展のリバイバル展示を行うことにしました。

    展示パネルは、斎田での農作業、お田植祭、抜穂式(ぬきほしき)などの祭祀、

    京都の御所に供納する様子などを記録した写真が中心です。

    当時の福岡県は、この一大事業の顛末を文書だけでなく、膨大な記録写真としても残しています。

    大変画質の良い写真で、91年前の雰囲気を今に伝えてくれています。

    令和の大嘗祭のニュースを見て、大嘗祭や主基斎田にご興味を持たれた方は、

    ぜひこの機会に、福岡共同公文書館に来ていただいて、

    昭和の大嘗祭と福岡県との関わりについても知っていただきたいな、と思います。

    パネルだけでなく、もっと関連資料を見てみたい、という場合は、

    利用申請をすればどなたでも資料の閲覧ができますので、どうぞご利用ください。

     

    ※平成27年度第2回企画展「昭和の主基斎田~福岡県の記録から~」の

     概要や展示資料につきましては、

    当館ホームページ>展示・講座案内>過去のイベント情報>企画展>昭和の主基斎田

    「福岡共同公文書館だより」第9号当館ホームページ>刊行物等>福岡共同公文書館だより

    に掲載しておりますので、あわせてご覧ください。

     

    2019年8月27日

    企画展「学校給食ヒストリー」エントランスより

    あっという間にお盆も過ぎて、8月も残りわずかになりました。

    7月23日から始まった企画展も、折り返し地点を過ぎたところです。

    今回の企画展は、展示室の外(エントランス)にもいろいろと見どころがあります。

    給食年表や福岡県の郷土料理を紹介するパネルの展示、

    アルマイトの食器に触ってみるコーナー、

    石盤・石筆を体験するコーナー、

    明治と平成の小学生の身長を比較するコーナー

    などなど。

     

    そして、今回ご紹介するのは、

    ご来場のお客さまに、小学校や学校給食の思い出をカードに書いて掲示してもらうコーナーです。

    こうしてお客様自身の手で掲示をしていただく試みは、

    以前、5周年記念展示「公文書でめぐる鉄道の旅」でもやりました

    (この時は鉄道に関する写真を掲示していただきました)が、

    展示を見ていただくだけでなく、お客様にも展示に参加していただきたい、

    という趣旨で始めた取り組みです。

    エントランスの片隅にあるので、気がつかずに帰られるお客さまもいらっしゃるのですが、

    今回は、備え付けのカードに

    ・出身小学校

    ・年齢

    ・好きな教科

    ・好きな給食

    ・小学校の思い出(授業、給食、休み時間、運動会、遠足、修学旅行/楽しかったこと、いやだったこと)

    を書いていただいています。

    8月22日現在、87枚のカードが掲示されています。

    今回の企画展は、ご家族連れで来場されるお客様が多く、未就学児さんから70代まで、

    幅広い年齢層のお客様に書いていただいています。

    読んでいると、くすっと笑ってしまったり、わかるわかると共感したり、へえ~と驚かされたり。

    結局、企画者が一番楽しませていただいているようです。

    その中から、給食に関するコメントをいくつかご紹介しようと思います。

     

    給食に関する思い出で多かったのが、次のようなものでした。

    「小学校1年生の時苦手なメニューがあって食べてしまうまで残って食べていました。給食センターのトラックに食器が間に合わず悲しい気持ちになった思い出があります」(40代、福岡県)

     

    「いつも昼休みを過ぎ、5時間目が終わるまで机の上には給食セットが残っていた。帰りの会の時、口の中に無理やり押し込んで「食べました」と言って、学校外に出てすぐ吐き出すのが日々の給食でした」(60代、福岡県)

     

    給食時間内に食べ終わることができず、休み時間や掃除時間、5時間目までぽつんと残されることは、

    子どもにとってはかなりのトラウマですよね。

    私の小学生時代にも、食べ終わることができないまま掃除時間に突入し、

    机ごと教室の後ろに下げられてしまった友達がいて、見る方もツライ気持ちになったものです。

    同じようなご意見が、他にも多数寄せられていました。

    ・嫌いな給食を残したら、後日校長室に呼ばれて、校長先生と一緒に給食を食べさせられました(50代、熊本県)

    ・給食で食べるのがすごく遅く、それが嫌で、早く食べる練習をした事もあった(50代、福岡県)

    ・給食を食べるのが遅かったので、昼休みに教室に残されて、完食させられたのがつらかったです(50代、福岡県)

    ・食べるのが遅かったため掃除時間まで食べたり、牛乳が苦手で手洗い場に流したこともありました(10代、福岡県)

     

    読むだけで切なくなります…。

    また、こんなコメントもありました。

    「じゃがいものオレンジ煮が口に合わなくて、ほとんどの児童が残していた。いつもは注意する先生も、その日だけは何もおっしゃらなかった」(40代、福岡県)

     

    先生をも黙らせる「ジャガイモのオレンジ煮」。ちょっと味見してみたいような…。

     

    いきなりつらい思い出からご紹介しましたが、一方で、こんなコメントもありました。

    「牛乳があまったとき、毎回牛乳ジャンケンに参加して、1日2本牛乳を飲んでいました」(20代、福岡県)

     

    「給食の時間、当日欠席だった人の分をじゃんけんで勝つと食べる事ができた!「残してはいけない」きまりだったので、クラス中で協力し合いながら皆で完食していた」(40代、福岡県)

     

    残ったおかずやデザートの争奪じゃんけん、ありましたありました!

    みんなで協力して「完食」というのは、いいですね。

     

    ところで、みなさんに書いていただいた、「好きな給食のメニュー」では、ダントツ人気が

    カレー

    でした。

    なんと、87名中32名がカレーを挙げておられました。

    なかには、

    「学校給食のカレーが人生で一番おいしいカレーでした」(30代、福岡県)

     

    こんなコメントもありました(笑)。

    「人生で一番」というのは小学校生活の楽しい思い出込みの評価でしょうか。

    でも確かに、給食のカレーってすごくおいしかったです。

    私も小学生の時、母に「給食と同じカレーを作ってくれ」とごねて、困らせたことがあります。

     

    一方で不人気№1は、これまたダントツで、

    脱脂粉乳

    でした。

    これは経験された世代、知らない世代に分かれますが、

    経験された方たちは口をそろえて「まずい!」とおっしゃっています。

    「1年生の時は脱脂粉乳。この世のものとは思えないほどまずかった」(50代、福岡県)

     

    「脱脂粉乳まずかった~!」(60代、福岡県)

     

    直接お話をうかがうことができたお客様から、

    「味も匂いもいやだったけど、冷めた時の表面に張る膜が本当にいやだった」

    という具体的なご意見もいただきました。

    このようにすこぶる評判が悪い「脱脂粉乳」は、

    終戦後、子どもたちに必要なたんぱく源として、GHQの公衆衛生福祉局長サムスが導入を強く主張し、

    日本の官僚も積極的に給食に取り入れたものです。

    しかし、子どもたちにとっては随分悩ましい存在であったようです。

     

    ここまで、人気・不人気のメニューを見てきましたが、他にこんな変わったメニューを挙げてくれた方がいます。

    「もなかに納豆が入っている『なっぴー』なるものが出たことがあります。つめたかったのでアイスかと思ったら納豆で、びっくりしたのを覚えています」(40代、佐賀県)

     

    「なっぴー」というかわいらしい名前の割に、かなり攻めた食べ物のようです。

    北海道の食べ物らしい、ということで、早速インターネットで検索してみました。

    すると「Now Pea」(ナゥピー)という北海道の食品がヒットしました。

    学校給食で提供されていたものが、現在では店頭でも販売されているそうです。

    (昔はナッピーという名称だったそうです)

    果たして、もなかの皮に冷凍納豆が入っているおやつ?でした。

    このコメントをくださった方は、味について書かれてていなかったものの、

    確かに「アイスもなか」と思ってかぶりついて、中身が納豆だったら、

    その衝撃はいかほどか、想像にかたくありません。

    ただ納豆好きとしては、ちょっと試してみたい一品です。

     

    このほか、北海道出身の方が好きな献立として挙げてくださった「味噌ラーメン」、

    長崎県出身の方の「ちゃんぽん」、熊本県出身の方の「太平燕」などから、

    その地域の郷土料理が給食に取り入れられていることがわかりました。

    地域や学校によって、さまざまに異なる給食のメニュー。本当に興味深いです。

     

    また、調理士をされていたお母さまの思い出や、

    離島の小学校の給食事情について書いてくださった方もいて、

    非常に読み応えのあるバラエティに富んだコーナーになっています。

    展示室の中も楽しいですが、ご来場の際には、

    ぜひこの小学校の思い出コーナーもご覧になってください。

    そしてあなたの思い出を残して帰ってください!

     

     

     

     

     

    2019年7月24日

    夏の企画展はじめました

     「冷やし中華はじめました」風タイトルですけれども。

     

    令和元年度第1回企画展として、「学校給食ヒストリー」

    7月23日(火)から始まりました。

     

    今回は、学校給食の歴史がテーマです。

    また、給食の舞台であった小学校の歴史もあわせて見ていただける展示になっています。

    当館の、気は優しいけど見た目がイカツイ公文書さんたちを盛り上げるために、

     福岡県学校給食会さま

     筑紫野市歴史博物館さま

     久留米市教育委員会さま

    から、強力な助っ人(資料)に来ていただいております。

    文書とモノ資料とレプリカ、色とりどり、形さまざま、内容もおもしろく、

    目にも楽しい展示になっていると思います。

    公文書、写真、モノ資料で、草創期の小学校の歴史をご紹介しています

    こちらは、昭和20年代の資料。夏休みの宿題の定番「夏休みの友」です。昭和23年から、すでに小学生のお友達だったんですね

    各年代の給食の献立のレプリカを展示したコーナーもあります。おいしそう…

    福岡県の県産品を使った給食の食品の数々

     

    おじいちゃんが子供のころって、小学校あったと?

    お母さんの好きやった給食ってなに?

     

    子どもたちからそんな質問を受けてしまったおじいさま、そしてお母さま。

    どうぞ「学校給食ヒストリー」へお越しください。

    展示を見て、お話に花が咲くと思います。

     

    エントランスでも、パネル展示のほか、

    石盤・石筆体験コーナーやアルマイト食器にさわれるコーナー、

    小学校の思い出を書いて壁に展示してみるコーナーなど、

    色々なコーナーを準備しておりますので、

    夏休み中のお子さまをさそって、帰省中のお友達をさそって、

    ぜひぜひ遊びにきてください!

     

    エントランスでも、給食の歴史年表パネルや、福岡県内の郷土料理のパネルなどを展示しています

    なつかしのアルマイト食器にさわってみるコーナー。なにやら使い方をまちがっているひとがいますが‥

    小学校の思い出を記入するコーナー。小学校の机に向かって、当時の思い出をカードに書いて、壁面に貼りつけてください。壁のカードは、今後このブログのなかでもご紹介していく予定です

     

    しょこらも書いてます

     

    おまちしています!

    2019年4月3日

    平成最後の桜…?

    ごぶさたしております。

    年の初めには張りきっていたのに、その後公文書館ブログ休眠しておりました。

     

    先日、新元号の発表がありましたね。

    「令和」れいわ

    出典となった万葉集の詞書の梅花の宴は大宰府の大伴旅人の邸で行われたそうで、

    そう思うと、福岡県民としては親近感が湧いてくるような・・。・・。

    何はともあれ、新元号も決まり、ふわふわとしていた気持ちが落ち着いたような気がします。

     

    「平成」も残り1ヶ月。

    前回の改元の時は、「昭和」の終わりと「平成」の始まりの間には1日しかなかったのですが、

    今回はゆっくりと「平成」を惜しむことができます。

    最近では、何かにつけて「平成最後の」という枕詞がつくのですが、

    九州・四国・本州では「平成最後の桜」も、

    北海道で咲くころには「令和最初の桜」となるかもしれませんね。

    福岡は桜満開です!

    しょこらも昼休みにこっそりお花見

     

    公文書館では、常設展を再開しました!

    今回は、特集「さようなら平成」展もやっています。

    ぜひ見に来てください。

    2018年10月4日

    10月になりました

    早いもので10月です。

    暑さがようやく一段落した、とほっとしていたら

    ここ数日の朝晩の冷え込みで、あっという間に風邪を引いてしまいました・・・。

    まったく油断できない季節の変わり目です。

     

    ここ数日といえば、

    ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった、本庶佑先生の会見を見て、

    心洗われる思いがしています。

    研究には、好奇心とあきらめない気持ちが大切とのこと。

    どちらも、年を重ねるうちに、失いがちですが、

    研究のみならず、日頃のお仕事にも生活にも大切なことだと改めて思いました。

    よし!

    好奇心を満タンにして、ブログのネタを探そうっと。

     

    さて。

    当館の夏の企画展は、無事に終了いたしました。

    ご観覧くださった皆さま、ありがとうございました。

    ご協力いただいた皆さま、ありがとうございました。

    展示替え風景。展示資料を片付けて、がらんとした展示ケース。嗚呼、祭りの後の寂しさよ!

     

    企画展開催期間中、ケース内に展示していた特大錦絵は、

    しばらくエントランスに掲示しておりますので、

    「見逃した」という方、「もっと近くで見たかった」という方、ぜひ御覧ください。

    展示室では、9月29日(土)から常設展を行っております。

    こちらもぜひどうぞ!

    久しぶりの常設展です。

     

    なお次の企画展は、来年2月からを予定しております。

    そのうち、詳しい情報をお届けしたいと思います。

     

     

    みなさん、くれぐれも、風邪には気をつけてくださいね!

     

    2018年8月3日

    企画展開催中!

    毎日、暑いですね~。少し外に出ただけで、溶けそうです。

    こんな時は、ぜひ公文書館へお越しください!

    冷房が効いていますし、休憩コーナーもございます。

    そして何より。

    現在、企画展を開催中でございます!

     

    今年度第一回企画展は、「西南戦争―かけめぐる情報―」です。

     

    今年2018年は、明治維新から数えて150年です。明治10年に起こった西南戦争からは、ちょうど140年の節目。

    大河ドラマでも「西郷どん」が放送されていますね。

     

    西南戦争中、電報によってほぼリアルタイムで情報が伝達され、

    新聞や錦絵によって戦況が全国に報道されたことをご存知でしょうか?

    幕府が倒れ、日本の近代化が始まってから、わずか10年後の話です。

     

    今回の展示のテーマは、西南戦争をめぐる「通信」「報道」です。

    電報がいかに戦況を伝え、新聞と錦絵がいかに戦況を報道したか、ということを、当時の資料を用いてご紹介しています。

    展示風景。錦絵の拡大パネルでは、細部までしっかりと見ていただけます。

     

    何と言っても、見どころの一つは、豊富な錦絵資料です。

    今回は、北九州市立大学の生住先生、久留米大学の大庭先生のご協力を賜り、

    両大学および先生個人が所蔵されている貴重な錦絵を多数展示しております。

    なかには、明治7年頃から14年頃にかけてのきわめて短期間しか発行されなかった、珍しい錦絵新聞や、

    判じ絵になっていて絵解きするとさらに面白い風刺画などもあり、

    どれもこれもじっくりと見ていただきたいものばかりです。

    西南戦争もの錦絵ということで、明治10年に発行されたものが多いのですが、

    つい最近刷られたか、と見紛うほど色鮮やかで美しい状態です。ぜひ、来館して実際の資料をご覧ください。

     

    展示資料「西郷隆盛戦死ノ図」(大判三枚続錦絵、細木年一画、明治10年10月6日届、個人蔵)
    ※記事「賊魁(ぞくくわゐ)城山の岩崎谷に於て 官軍の重囲(ぢうい)に陥落(おちいり) 進退窮迫(きうはく)する処 許多(あまた)の官兵進み来り 終に西郷隆盛を生捕(いけどり)にせんと 組打に相なる処 別府新介駈(かけ)来り 隆盛の首(くび)を打落し 城山岩崎(いわさき)の土中に埋(うめ)し由 絵入新聞に見ゑたり」 
    ★この資料の展示は8/19まで

     

    また、もう一つの見どころが電報です。福岡県立図書館所蔵の資料を多数展示しております。

    明治10年当時、実際に福岡県と各府県や政府との間でやりとりされた電報の記録は、

    臨場感にあふれ、読めば読むほど興味が尽きません。

    電報資料はカタカナ表記なので、くずし字が苦手だわ、という方にも、容易に読んでいただけると思います。

     ▲明治10年3月7日午後9時25分に久留米支庁から福岡本庁へ送信された、田原坂の戦況を伝える電報資料。

     「サクジツ タハラサカ ノリトリタル ヲモムキ ゴホウチセシトコロ ゴゴハチジマデ ゲキセン ダイバ ニカシヨ セメトリタレドモ ノコリイツカシヨノダイバヲ ゾクカタクマモリ・・・」(「福岡県史稿 諸方電報綴 第3号」(福岡県立図書館蔵))

     

    また、エントランスでは、西日本新聞社から借用した福岡の新聞の歴史についてのパネルや、

    電報でたどる西南戦争として、電報資料をわかりやすくパネル化した展示も行っておりますので、

    こちらもあわせてご覧ください。

    多種多様な錦絵の数々

     

    エントランスに展示した西日本新聞社作成のパネル。福岡の新聞黎明期から現在の西日本新聞にいたるまでの流れがよくわかります。

     

    「電報でたどる西南戦争」コーナー。福岡県立図書館所蔵の電報資料のなかから、西南戦争の主要な戦況部分を抜き出しています。電報の簡潔な文章から、時々刻々と動いていく西南戦争の様子がよくわかります。

     

    8月20日(*休館日)に資料の入れ替えを行います。

    8月19日()までしか見られない錦絵もありますので、ぜひお早めにお越しください!

     

    福岡共同公文書館
    所在地 〒818-0041 福岡県筑紫野市上古賀1-3-1 アクセスマップはこちら 電話 092-919-6166 FAX 092-919-6168 E-Mail kobunsyokan@pref.fukuoka.lg.jp
    COPYRIGHT © 2012 福岡共同公文書館. ALL RIGHTS RESERVED.
    このサイト内に掲載されている画像、文章等を許可なく複製・転載することを禁止します。