福岡共同公文書館は、福岡県と県内全市町村(政令市である北九州市、福岡市を除く)が共同で設置・運営する公文書館です。そのため、ここで働く職員は福岡県の職員3名と市町村の職員3名に会計年度任用職員9名という構成になっています。
そこで、今回「公文書でめぐる ふるさと福岡」は当館の職員さんにご自身の市町村の紹介をしていただこうと思います。
では、ここからは当館の「しょこら」がお話を聞きます。
どちらの市町村からの派遣ですか?
大川(おおかわ)市から派遣されていた野田です。私は、令和3年度に福岡共同公文書館で勤務していました。
大川市ってどんなところですか?
大川市は筑後南部にあり、派遣先の福岡共同公文書館がある筑紫野市からは少し遠いところです。
昭和29年4月1日に大川町を中心とした三又(みつまた)・木室(きむろ)・田口(たぐち)・川口(かわぐち)・大野島(おおのしま)村の6か町村が「町村合併促進法」に基づいて合併し、大川市が誕生しました。
福岡県南部の主要都市である久留米市、大牟田市や佐賀県佐賀市を結ぶトライアングルのほぼ中心に位置しています。筑後平野の中央に位置し、筑後川が市の西部を流れ、有明海に注いでいます。また、市内を延べ300キロメートルにもわたるクリークが縦横に走り、独特の景観を有しています。
当館に来る前の「福岡共同公文書館」の印象は?
「自分たち公務員が市役所で作成している公文書の中でも特に重要なものを保存している場所」、というようなぼんやりとしたイメージです。
実は公務員になったばかりの頃、新採研修で一度訪れたことがあったのですが、4年ほど前のことだったので記憶はおぼろげでした。
当館に派遣が決った時はどう思いましたか?
「自宅から場所が遠いけど通勤は大丈夫だろうか」、「公文書館で保存するような重要なものを自分が選ぶのだろうか」、「そもそも自分で仕事は務まるのだろうか」と心配事がいろいろと思い浮かびました。
ただ、今回の派遣が公務員になって初めての異動だったこともあり、決まった当初は実感が湧かない感じもありました。
当館ではどのような仕事をしていましたか?
公文書を収集・選別して保存する「文書班」に所属していました。
県内の様々な市町村から大量の公文書を運ぶために運搬業者に依頼します。一度に複数の市町村を回れるように、移管市町村の日程調整などが必要になってきます。
保存する公文書を決める「選別会議」を行ったり、保存が決まった公文書に「燻蒸」という殺虫処理を燻蒸業者に依頼したり、文書保存庫の湿度管理をしていたりと、「歴史公文書保存」のために様々な仕事をしています。
ここでは紹介しきれない小さな仕事から大きな仕事まで、まだまだたくさんあります。
野田さんは1年間の勤務でしたが、この1年で印象に残った出来事は?
宮若市で行った「歴史公文書研修会」になります。
自分が講師となって福岡共同公文書館がどういったところかや公文書移管の重要性を説明するのですが、緊張してちゃんと説明できたか不安でした。
でもその後、宮若市から公文書を移管してもらうことができて嬉しい結果となりました。
実際に働いてみた「共同公文書館」はいかがでしたか?
働きはじめた頃は仕事を覚えるのに必死で「通勤が遠い」なんてことはどうでもよくなりました(笑)。
この1年間福岡共同公文書館で仕事をするうえでわからないことばかりで、職場の皆さん、文書事務担当者の方、仕事を依頼する業者の方と、様々な人たちに本当にいろんなことを教えてもらい、そして助けてもらいました。
1年前の福岡共同公文書館に対するぼんやりとしたイメージが、実際に働くことで全く違ったイメージに変わっていることを自分の中で感じています。
ご自身市町村のご紹介と今後の抱負をお願いします
大川市は「家具」が有名なところで、木工まつりや家具展示会をやっています。「家具」といえば「大川市」をイメージする人たちも多いのではないでしょうか。
他にも「あまおう」の主要な生産地だったり、筑後川の「えつ」が有名だったりもします。
実は、「子育て」にも力を入れていて、保育料が安いといったこともあります。私がこちらに派遣されている間に子育て支援施設「モッカランド」もオープンしているんです。
今回福岡共同公文書館で働くことで、多くの人たちと出会い、知り合うことができました。
この「経験」、「繋がり」を忘れず、大川市でのこれからの仕事に活かして、自分自身と大川市どちらも成長できるよう頑張りたいと思います!