10月1日に、那珂川町が市制施行して那珂川市となりましたが、
福岡県には、11月にお誕生日を迎える市が、二市あります。
(この場合のお誕生日は、市制施行、つまり「市となった日」を指しています)
市制施行の年代順にご紹介しますと、
まず、田川市。
昭和18年(1943)11月3日 伊田町と後藤寺町が合併して、市制施行し、
田川市となりました。
両町の合併は、以前から議論されていたところでしたが、
大きく合併・市制施行へと動き出したのは、
昭和17年9月に起こった
田川区裁判所の廃止問題がきっかけでした。
もともと取扱い件数が多い同裁判所が廃止となったのは、
この地区が市制施行していないことが原因となっていることがわかったのです。
両町は、合併そして市制施行についての協議へと進んでいくことになります。
(左)伊田町が作成した市制施行に関する公文書 (右)後藤寺町が作成した市制施行に関する公文書
伊田町、後藤寺町とも、それぞれ慎重に調査検討を行った上で、両町協議に入っていった。
二つの公文書を読み比べると、合併に対する両町それぞれの思惑が垣間見えて、とても興味深い。
昭和18年5月に正式な合併協議を始め、
わずか5ヶ月後には内務大臣から市制施行の正式な認可を得ることができました。(以上「田川市史」参照)
(左)「大田川市建設に関する後藤寺・伊田両町会議員懇談会」議事録(『両町合併市制施行ニ関スル経過事蹟(後藤寺町)』より)
(右)「市制施行の儀に付上申」(『市制施行調査書綴』(田川市)より)後藤寺、伊田両町長から内務大臣に提出した上申書の写し
「町を廃し田川市設置の件」(『合併市制施行上申書』(田川市)より)
福岡県知事から内務大臣に提出した稟請書の控え。
市制施行の日を「明治節」(明治天皇の誕生日、現在の文化の日)に合わせて、11月3日と決めたことがわかる。
そして11月3日、田川市が誕生したのです。
田川市は、今年75回目のお誕生日を迎えました。
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次に、中間市。
昭和33年(1958)11月1日 中間町が市制施行して中間市となりました。
戦後、行政事務処理の効率化と住民福祉の向上をはかるために、
市町村の規模を見直そうということになりました。
町村合併促進法や新市町村建設促進法が公布・施行され、
町村合併や市制施行が進みました。
いわゆる昭和の大合併です。
福岡県でも、町村合併促進審議会条例を制定して合併を進めました。
昭和29年までに、柳川市、山田市、甘木市、八女市、筑後市、大川市、行橋市
が市となりました。
中間町を含む遠賀郡では、昭和25年に、遠賀郡6町村が合併して遠賀市を
誕生させる計画が浮上しましたが、実現にはいたりませんでした。
さらに、地方自治法が定める市制施行の基準が「人口5万以上」であり、
中間町の人口はこれに達していないために、単独での市制施行は難しい状況でした。
しかし昭和33年4月、地方自治法の一部を改正する法律が公布され、
昭和33年9月30日までに申請を行った自治体は、
人口3万以上をもって市になることができることになりました。
これを受けて、中間町議会は市制調査特別委員会を設置し、
市制施行に関する調査検討を行い、9月17日の町議会で、市制施行が可決されました。
まさに、タイムリミット寸前の決定でした。(以上「中間市史」参照)
(左)『市制施行事績 中間市』(福岡県公文書)
(右)中間町が福岡県に提出した「市制申請書」の表紙(上記『市制施行事績』より)
↑ 市制申請書の日付は昭和33年9月17日(上記『市制施行事績』より)
↑ 市名を「中間市」とすること、市制施行日を「11月1日」とすることが記載されている。(上記『市制施行事績』より)
そして中間市は、今年、60回目のお誕生日を迎えました。
人に歴史あり、と言いますが、
市町村にも歴史あり、です。
自分の住んでいる市町村のお誕生日、調べてみませんか?