今年も残りわずかとなりました。今年も新型コロナウイルスに振り回された1年でした。
さて、今回は「公文書でめぐる ふるさと福岡」で、「添田町(そえだまち)」を紹介します。
添田町は、福岡県の東南部に位置し、南部は北部九州の最高峰英彦山(ひこさん)(1,199m)や鷹巣山(たかのすやま)(979m)を境に大分県日田市(ひたし)、中津市(なかつし)と接しています。西部は釈迦ヶ岳(しゃかがだけ)(844m)、大日ヶ岳(だいにちがだけ)(829m)、戸谷ヶ岳(とやがだけ)(702m)などの山系をもって、朝倉郡東峰村(あさくらぐんとうほうむら)および嘉麻市(かまし)、田川郡川崎町(たがわぐんかわさきまち)と接しています。
東西13㎞、南北16㎞で総面積132.20平方㎞と県下でも屈指の広大な面積を有しています。地勢は、南部を中心とした山間地帯、中部の山麓地帯によって占められ、北部の平坦地に、町の経済、文化、行政、交通等の中心となり人口の70%が集中しています。
年間の平均気温は12~14度と低く、平均雨量は2,200~2,600mmと県下最高の降雨量です。しかし、この自然条件が豊かな森林資源を育て、雄大な景観を持つ県下唯一の休養型観光地としての適地を作るとともに、山間地より流下する清流となって周辺市町村の農作物や飲料水を潤す貴重な水資源を生み出しています。 (HPより)
それでは、町制施行100周年記念誌「添田百科」を見ながら、もう少し詳しく添田町の紹介をしたいと思います。
添田町が町制施行100周年を迎えたのは2011(平成23)年です。ということは添田町が町制施行したのは1911(明治44)年です。1889(明治22)年の市制・町制施行前に添田町域に16あった村は財政基盤を固めるために合併を進め、8つの村に統合されました。1907(明治40)年に添田村と中元寺村(ちゅうがんじむら)が合併し、新たな添田村が誕生しました。その4年後の1911(明治44)年に添田村は町制施行して添田町になりました。1942(昭和17)年、添田町は彦山村(ひこさんむら)と合併しました。また、その後町村合併法の施行を機に1955(昭和30)年津野村(つのむら)と合併し現在の町域となりました。
添田警察署
1896(明治9)年行事(ぎょうじ)警察所添田屯所として設立し、翌年には屯所を廃止し添田分署となりました。その後管轄の変更等を経て1926(大正15)年に添田警察署として独立しました。1948(昭和23)年、警察制度の改正によって自治体の添田警察署となります。1954(昭和29)年に警察制度が改正され自治体警察が廃止となり、県警察が発足し、福岡県添田警察署となりました。その際に、添田町の商工会や消防団等から添田町の警察署をそのまま残してほしいという旨の陳情書が提出されています。田川郡の中でも一番面積の広い添田町は炭鉱地帯であるとともに国定公園英彦山があり近年犯罪が増加しているため、添田町に警察署を置いてほしいということでした。結果としては、警察署の位置はそのままとなりました。添田警察署は2010(平成22)年県下の警察再編成に伴い廃止され、田川警察署添田警部交番となりましたが、位置は現在も昔のままです。
英彦山
旧豊前(ぶぜん)国である添田町と大分県中津市山国町(やまくにまち)にまたがる標高1,199メートルの山です。日本三大修験道霊山のひとつとして多くの信仰を集めてきました。その昔、英彦山へ降臨し、山の神とあがめられた日胤尊(ひこのみこと)の名にちなんで、日子の山「日子山」と名付けられたとされています。それが変化して、「英彦山」と呼ばれるようになりました。
英彦山は、1925(昭和25)年に国定公園指定を受けています。それ以降は参詣者だけでなく登山やレジャー目的の観光客が増えました。
添田町からは170冊の公文書が移管されています(2021年11月末現在)。また、行政資料も所蔵しています。
次回の「公文書でめぐる ふるさと福岡」もお楽しみに!