今回の「公文書でめぐる ふるさと福岡」は、赤村(あかむら)です。
◆赤村の地理
赤村は福岡県筑豊地域の東部にあり、英彦山(ひこさん)から扇状に走った山麓に挟まれた細長い盆地で、英彦山を源流とした今川(いまがわ)が流れています。土地は肥沃で昔から良質米が生産されており、山間部一帯では、緑と清流がつくりだした素晴らしい景観に恵まれています。
◆赤村の歴史
全国の自治体で市町村名に色を単独で用いて表記するところは、唯一赤村のみと言われます。この珍しい赤村、ここではその名に秘められたストーリーをご紹介します。その昔、赤村には「吾勝山(あがつのやま)」と呼ばれた霊峰がありました。それは今、「岩石山(がんじゃくさん)」と呼ばれ、隣の添田町との境界にあります。吾勝山の東側にあたる南北に細長い平野部を「吾勝野(あがつの)」と呼んだと言い伝わりますが、時の天皇が「この南北にのびる平野は長すぎる。北と南に別けて呼ぶように」と言われ、それから「あが」と「つの」と別けて呼ばれるようになったということです。「あが」という地名は、わが国最古の歴史書「日本書紀」に登場します。同書安閑天皇二(535)年、福岡県各地に屯倉(みやけ、ヤマト王権の直轄地)を設けたとあります。この中に「我鹿(あが)屯倉」という記述があり、その推定地が赤村ではないかとされています。(赤村ホームページ「赤村の由来」より引用)
明治20年に上赤村、下赤村、山浦村が合併し旧赤村となり、小内田村、大内田村が合併し内田村となって、明治22年に旧赤村と内田村が合併して今日の赤村となりました。以降合併は行われていませんが、昭和の大合併の際に行われた協議等の事蹟が歴史公文書として残されています。
赤村の歴史や文化財については、『赤村史』及び『郷土 我鹿(あか)』に詳しく記載されています。
◆DO YOU 農?
「DO YOU 農?」は、農村体験を中心にした村民と都市住民との交流事業です。春には田植え、秋には稲刈りを中心に、年2回行われています。今年は5月20日に『第37回 DO YOU農? どろんこフェスティバル ザ・田植え』が開催予定です。昨年の様子が、『広報あか』に報告されています。
◆油須原線とトロッコ列車
油須原線(ゆすばるせん)は、戦後間もない頃、急激な発展を続ける日本を支えた筑豊の炭坑のために開発された鉄路でした。ところが、完成間近にして筑豊の炭坑は衰退期を迎え、この鉄路は実際に使用されることなくその役目を終える事となりました。
昭和30年代から40年代にかけての油須原線建設に関する事蹟が、歴史公文書として残されています。
現在は、その幻の鉄路に「赤村トロッコ油須原線」のトロッコ列車が走っており、炭坑時代の面影や赤村に残る大自然を感じる事ができます。
福岡共同公文書館では、福岡県と県内58市町村(政令市である北九州市、福岡市を除く)の歴史公文書(歴史資料として重要な公文書)や行政資料を、収集、整理、保存し、皆様に提供しています。
常設展示では、戦後から今日までの「福岡県」を当館の公文書や行政資料で振り返るとともに、県内の各市町村を紹介するコーナーを設け、県内の政令指定都市(北九州市・福岡市)を除く58市町村を順次紹介しています。現在 常設展示では、戦後から今日までの「福岡県」を当館の公文書や行政資料で振り返るとともに、県内の各市町村を紹介するコーナーを設け、県内の政令指定都市(北九州市・福岡市)を除く58市町村を順次紹介しています。現在(令和5年2月7日~7月2日)紹介しているのは、赤村・朝倉市・芦屋町・飯塚市・糸島市・糸田町です。 紹介しているのは、赤村・朝倉市・芦屋町・飯塚市・糸島市・糸田町です。
お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。
次回の「公文書でめぐる ふるさと福岡」もお楽しみに!