今回は川崎町(かわさきまち)の紹介です。
◆川崎町の位置◆
◆川崎町の地理◆
川崎町は福岡県の中央やや東寄りのところに位置し、南北が約12.6キロメートル、東西が約4.9キロメートル、総面積は約36.1平方キロメートルです。周囲を田川市(たがわし)、大任町(おおとうまち)、添田町(そえだまち)、嘉麻市(かまし)にとり囲まれ、おおよそ南部は山岳地、北部が平野部という地形です。
町内には添田町を起点とする中元寺川(ちゅうがんじがわ)が流れ、途中で安宅川(あたかがわ)、木城川(きしろがわ)、櫛毛川(くしげがわ)を合流して田川市へと抜け、最終的に遠賀川(おんががわ)に合流しています。
◆川崎町の成り立ち◆
明治以降、川崎町は以下のように変遷します。
1887(明治20)年:安真木村(あまぎむら)、川崎村(かわさきむら)が誕生
1937(昭和12)年:安真木村と川崎村が合併(村名は川崎村)
1938(昭和13)年:町制施行(8月15日)により、川崎町が誕生
こちらは合併を可決した際の安真木村議会の記録です。
『昭和11年~昭和12年村会議事録』昭和12年度 川崎町公文書(1-2-0015047)
川崎村との関係を『密接不離』であるとし、合併について『最早(もはや)必然』『村百年の大計』とまで言い切り、「待ってました!」と言わんばかりの意気込みがうかがえます。
そしてこちらは町制への移行を可決した町議会の議決書です。
『昭和13年町会事績』昭和13年度 川崎町公文書(1-2-0015048)
『最近ニ於テハ商取引其他ニ於テ川崎町ト記載シ往復セルモノ多ク』とあります。正式にはまだ『川崎村』であるにも関わらず、世間では勝手に『川崎町』と称して商取引が行われ、しかもそれが頻繁であったことが分かります。なんとも大らかな時代です。さしずめ現代なら、「詐称」とか「フライング」とか言われてSNSで一気に叩かれる炎上案件かも知れません。
次は1968(昭和43)年の30周年記念行事の記録です。
『町制施行30周年事績』昭和43年度 川崎町公文書(1-2-0014809)
『NHKのど自慢』の収録も行われました。当時の正式タイトルは『NHKのど自慢素人演芸会』で、テレビ放映も始まってはいたようですが、行事表を見る限り川崎町での収録はラジオで放送されたようです。
そして2023(令和5)年には町制施行85周年をお祝いしています。
『広報かわさき 2023年度』令和5年度 川崎町行政資料(2-4-0021396)
◆川崎町の今昔◆
川崎町は炭鉱の町として栄え、明治以降の日本の近代化や第二次世界大戦後の経済復興に貢献してきました。しかし昭和30年代以降、石炭から石油へとエネルギー革命が進むと同時に経済基盤に大きな打撃を受け、財政的に苦しい状況となりました。国の旧産炭地復興支援や過疎化対策の補助金も活用しながらその後は農業と観光を軸に据えた地域活性化を目指しています。
『平成10年度 産炭地域開発就労事業費補助金実績報告書』平成10年度 川崎町公文書(1-2-0044585)
『福岡県観光推進協議会(観光地づくり川崎町)』平成20年度 福岡県公文書(1-1-0028982)
『福岡県観光推進協議会(観光地づくり)』平成21年度 福岡県公文書(1-1-0031228)
次回の「公文書でめぐる ふるさと福岡」もどうぞお楽しみに。