福岡公文書館ブログ

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  • 2022年9月25日

    公文書でめぐるふるさと福岡 ~吉富町~

    福岡県の最東端に位置し、東は山国(やまくに)川を境に大分県中津(なかつ)市、西は海岸沿いに豊前(ぶぜん)市、南は上毛(こうげ)町に接し、北は波静かな周防灘(すおうなだ)に面している清流と澄んだ空気にはぐくまれ自然環境に恵まれた、北九州から50km圏内に位置する肥よくな土地の田園町です。総面積は5.68㎢で「九州で一番小さな町」です。

    町名は、室町時代から呼称されてきた「吉富(よしとみ)郷」に由来して、吉富町と名付けられました。

     吉富町は、江戸時代から1871(明治4)年まで中津藩にあり、廃藩置県よって中津県となりましたが、120日後に小倉県に編入されました。さらに、1876(明治9)年には小倉県も廃止され、福岡県に併合されました。1888(明治21)年の市町村制施行によって翌年に東吉富村と高浜(高浜)村が誕生しました。1895(明治29)年築上(ちくじょう)郡設置の際、当時の高浜村の山国川を境として西側の小祝(こいわい)・小犬丸(こいぬまる)を東吉富村に編入し、現在の町の姿となりました。

    1940(昭和15)年吉富製薬K.K.工場創立に伴い、1942(昭和17)年5月19日町制を施行しました。

                         『式辞』(1-2―0020080)

    1952(昭和27)年5月3日、日本国憲法発布5周年、平和条約発効、吉富町町制施行10周年記念の式典挙行の際に、当時の町長が読んだ式辞です。

    1942(昭和17)年5月19日に東吉富村が吉富町と改名し町制を施行したが、直前に勃発した大東亜戦争、そして敗戦と全国的に虚脱状態に陥っていたが、次第に復興してきたということが式辞の中で述べられています。

    今年、吉富町は町制80周年です。2022(令和4)年5月19日に町勢施行80周年記念式典が開催されました。

                         『広報よしとみ』(2-4-0019454)

    【神様が相撲をとる町】

    吉富町は「神様が相撲をとる町」として有名です。

    八幡古表神社(はちまんこひょうじんしゃ)に伝わっている傀儡子(くぐつ)とそれを操っての傀儡子の舞(細男舞(くわしおのまい))と神相撲は、古表神社の長い歴史と共に特色ある民俗文化として今日まで伝承してきています。

    鎌倉時代から始まり、その後、継続的に行われましたが、昭和の初期に本格的に復元され現在は、この貴重な文化財を途切れることなく後世に伝えるため細男舞・神相撲保存会により伝承活動が行われています。

    奈良時代に始まる宇佐神社(うさじんじゃ)の放生会に古表船を出し、傀儡子(木彫りの操り人形)を操って細男の伎楽(ぎがく)を奏したのが起源とされ、東西10体ずつの神々によって逐次、勝ち抜き相撲、次いで東・5体の神々と西・住吉神の飛び掛り相撲、次いで東・11体と西・住吉神の押し合い相撲、最後に、東西4体ずつの女神による八乙女舞が奏されて終わります。

    現在は4年に1度の放生会(ほうじょうえ)で奉納され、昼間は沖合に繰り出した船上で一部が披露され、夜は八幡古表神社境内の神舞殿で、およそ1時間半にわたって披露されます。

    『神様が相撲をとる町 よしとみ』(2-4-0018170)

    次回の「公文書でめぐる ふるさと福岡」もお楽しみに!!

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