今回は桂川町(けいせんまち)の紹介です。
♦♦桂川町の概要♦♦

●桂川町は福岡県のほぼ中央部に位置しています。東西約4キロメートル、南北約8キロメートルの細長い逆三角形の形をしており、総面積は約20平方キロメートルです。町を走る国道は200号線のみですが、2001(平成13)年に電化が完了したJR篠栗線(ささぐりせん)で博多駅(はかたえき)まで30~40分、JR筑豊本線(ちくほうほんせん)で筑豊地域の中心・新飯塚駅(しんいいづかえき)まで10分という、コンパクトにまとまった生活基盤を持つ町です。

▲『篠栗線5』(1-1-0009846)
♦♦桂川町の略歴♦♦
●桂川町は、1889(明治22)年の『町村制』の施行にともない、土居(とい)、吉隈(よしくま)、瀬戸(せと)、寿命(じゅめい)などの近隣9ヶ村が合併した桂川村からスタートします。


▲『福岡県公報(No,100)』(1-1-0042312)
県公報では桂川村に「カツラカワ」とルビが振られているのが興味深いですね。町内の中央部を流れる川は現在、泉河内川(いずみごうちがわ)と呼ばれていますが、当時は「桂川」と呼ばれており、そこから「桂川」を村名として選定した旨の記述が『福岡県史資料 第2輯』(昭和8)に見えます。
それにはルビが振られていないのですが、スタート時点では「カツラガワムラ」だった可能性もあるのでしょうか。あるいは、「ケイセン」と音読みするという情報がスムーズに伝達されなかっただけなのかも知れません。ただし、現在手軽に利用できる角川書店や平凡社の地名辞典では「桂川村・桂川町」はいずれも「けいせん」の見出しで、記述内容にも「カツラガワムラ」という呼び方は出てこないようです。
こうして誕生した桂川村は、その後、1940(昭和15)年に町制を施行し現在に至ります。その間の昭和・平成の合併促進期には他自治体との合併も検討されましたが、紆余曲折を経た後、現在も嘉穂郡(かほぐん)唯一の自治体として町制を継続しています。

▲『昭和29年度 町村合併研究委員会事蹟』(1-2-0023495)
●桂川町は、日本の近代化を支えた一大産炭地である「筑豊炭田」の一角を占めていました。そのため1950年代から始まる石炭から石油への転換、いわゆる「エネルギー革命」の波を受け、深刻な経済停滞に陥ります。1972(昭和47)年には町内最後の平山炭鉱(ひらやまたんこう)も閉山し、町は炭鉱離職者支援と不況対策に奔走しながら、炭鉱跡地の工業団地への転換や農業振興など、「産炭地」からの脱却を図る街づくりを推進しています。

▲『平山坑閉山処理特別委員会事蹟』(1-2-0036433)

▲『事業第506号 産炭地域開発就労事業 実績報告書』(1-2-0036564)

▲『第4次桂川町総合計画』(2-1-0014069) ▲『第4次桂川町総合計画』(2-1-0014069)
♦♦ちょっとレアな公文書♦♦
●桂川町の公文書から、他自治体の公文書では見かけないような、あっても十指に満たないくらいの珍しいテーマの文書を紹介しましょう。まずはこちら、『掠奪物件に関する事蹟』です。
物騒なタイトルですが、ここで言う「掠奪物件」とは、第二次世界大戦終結以前に日本が海外の占領地から国内に持ち帰った外国製の物資・物品等で、正当な取引書類を伴わないものを指しています。こうした掠奪物件の所有国・所有者への返還は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の重要政策の一つで、GHQの内部部局である民間財産管理局(CPC)が担当しました。この文書は、CPCからの依頼を受けて桂川町内での掠奪物件の有無を調査した事蹟です。こうした掠奪物件の調査・接収・返還は、占領期間中幾度も行われたようですが、本資料で見る限り桂川町には掠奪物件に該当するものが無かったようです。


▲『昭和24年度 掠奪物件に関する事蹟』(1-2-0023485)
●次は『警察に関する事蹟(自警廃止)』という文書です。
これもGHQの占領政策の一環ですが、占領期間中、一定の条件を満たす市町村に独自の自治体警察が設置された時期がありました。警察の地方分権化と民主化を狙った政策で、1947(昭和22)年制定の(旧)警察法のもと、全ての市と、人口5,000人以で交通機関や公共施設等のいわゆる都市インフラが整った市街的町村に自治体警察が置かれ、それ以外の地域は国家地方警察が管轄するという二本建ての制度が敷かれました。
しかし、小規模な自治体警察での財政難や一部勢力者による警察支配など、早い段階から問題が表面化したようです。こうしたことから1951(昭和26)年に(旧)警察法の一部が改正され、住民の意思で自治体警察の存廃を決定できるようになり、同時に廃止された自治体警察の職員や財産等については国家地方警察に編入されることとなりました。福岡県内でも行橋町(ゆくはしまち:現行橋市)を皮切りに、八屋町(はちやまち:現豊前市の一部)、二日市町(ふつかいちまち:現筑紫野市の一部)、篠栗町(ささぐりまち)等々、多くの自治体が住民投票を実施し、自治体警察の廃止へと舵を切りました。また廃止されなかった自治体警察も、最終的には1954(昭和29)年制定の(新)警察法によって都道府県警察へと統合されました。
ここで紹介する文書は、改正された(旧)警察法の合同研究会や他自治体の動向調査、住民投票実施に向けた取組みなど、桂川町の自治体警察廃止に関する一連の動きをまとめたものです。

▲『昭和26年度 警察に関する事蹟(自警廃止)』(1-2-0023494)
●次は『宣誓書綴』という文書です。昭和20~40年代に桂川町職員として採用された人たちの宣誓書を集めたものです。服務に関する宣誓は公務員に義務付けられたもので、おそらく自治体ごとに決まった雛形があるのではないかと思われます。現在なら印刷された文書に本人が署名捺印する形式が多いのでしょうが、この文書はほとんどが本人の手書きで、一部和文タイプライターを使用したものもあります。
気になる部分が「立権が国民に有すること」という文言です。「立権」という言葉は辞書を引いても見つかりませんし、「国民に有する」も変わった言い回しで、通常であれば「国民が有する」などの表現になるのではないでしょうか。この少し後に「日本国憲法」という言葉が出てきますので、おそらくですが、この文言は憲法の前文にある「主権が国民に存すること」の誤りではないかと思われます。
当時は草書体、いわゆる「崩し字」も日常的に使用されていますので、「主」を「立」に、「存」を「有」に誤った可能性が高そうです。ただ宣誓書の雛形からそうなっていたため、それを書き写した全員が同じ表現を使ってしまったのでしょう。公布されて日も浅い憲法の文言を確かめる手立てとして、当時どのようなものがあったのか、ネット社会の現在からは想像するのも難しそうです。ともあれ、情報の伝達・流通が、その量も経路も限られていた時代のエピソードと言えそうです。

▲『宣誓書綴 (2/2) (資料名等の表紙記入なし)』(1-2-0023448)
♦♦クセになりそうな桂川グルメ♦♦
●桂川町の寿命(じゅめい)には国の特別史跡に指定された「王塚古墳(おうづかこふん)」があります。形状は前方後円墳で、石室のほぼ全面に彩色壁画が施された国内屈指の装飾古墳です。

▲『コダイム王塚』(2-2-0000572)
●王塚古墳をモチーフにした桂川町のご当地グルメが、「古墳バーガー」と「王塚古墳マドレーヌ〈古代の鍵〉」です。古墳バーガーは、白いバンズと黒いバンズの2種類があり、黒い方は石炭をイメージして「イカ墨」を練り込んでいるそうです。ネット情報によりますと、この古墳バーガーはエジプト考古学者の吉村作治(よしむら さくじ)氏からも、その美味しさに「お墨付き」を得たようです。
一方のマドレーヌは、前方後円墳を忠実に再現した形状をしています。あんことバターという、スイーツ好きにとっては禁断の組合せと、それに「お墓を食べる」というインパクトも加わって、まさに背徳の味と言えそうですね。

▲『広報けいせん 2016年度』(2-4-0002209)
次回の「公文書でめぐる ふるさと福岡」もお楽しみに!