昨日のクリスマスイブ。
みなさま、いかがお過ごしになったでしょうか。
形ばかりのクリスマスディナーを…と思い、
仕事終わりに近くのショッピングモールをのぞいてみたら、
ケーキ屋さんには長蛇の列。
食品売り場では、日常のお惣菜は姿を消し、あふれるばかりのチキンレッグ!
サラダもパーティ用に盛りつけられ、お値段もパーティ用になっておりました。
これじゃあ、うちは仏教徒なのでクリスマスは関係ない、と言っていても、
気がついたら、食卓はなんだかクリスマス…ってことになりかねません。
さて、このクリスマス。はたまたクリスマス商戦。
日本ではいつから始まったのでしょうか?
日本で初めてクリスマス行事が行われたのは16世紀のことだそうです。
現在の山口県で宣教師によって行われた降誕祭が、日本初のクリスマス。
その後、禁教令によって長いこと途絶えますが、
明治時代になると、再びクリスマス文化が戻ってきます。
特に、明治期には店先にクリスマスツリーが飾られ、
いわゆるクリスマス商戦というものが始まりました。
一般の家庭にクリスマスが定着するのは明治の終わりごろだそうです。
昭和に入り、12月25日が、先帝祭(大正天皇が崩御した日)として
国民の休日になると(昭和23年廃止)、
子どもだけでなく大人もクリスマスを楽しむようになります。
昭和9年12月17日の大阪朝日新聞には、「大量注文殺到で品不足の悲鳴」というタイトルで、
豪勢なクリスマス景気の記事が掲載されています。
記事は、
クリスマスが近づき、街のショーウインドウにはクリスマスのデコレーションが施され、
サンタクロースが商店やデパートの売り出しに引っ張りだこ、新商品の提灯式マネキンサンタや、
仮装マスクなどが大いに売れ、家庭用のクリスマスツリーや
デコレーションケーキも色々取りそろえられている様子。
クリスマスプレゼントとしては、フランス人形や絵本などが人気だ、
と伝えています。(*神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ 新聞記事文庫参照)
戦前の日本でも、まさに現在と同じようなにぎやかなクリスマスの風景があったんですね。
その後の日中戦争のぼっ発でクリスマスは禁止されますが、
戦後の昭和23年にはにぎやかなクリスマスが復活してきます。
ここで、当館の資料から戦後まもないクリスマスの様子を見てみたいと思います。
昭和21年12月に戦争孤児、浮浪児などを養育する施設として発足した「百道松風園」は、
昭和22年12月に2度目のクリスマスを迎えます。
当時の職員による業務記録である『日誌』(福岡県公文書、1-1-0021115)の
昭和22年12月25日のページには、次のような記録が残されています。
12月25日(木) 晴 暖
〇福岡高女生徒によりクリスマス飾付をなす。
〇朝礼時、クリスマスのお話をする
〇冬休に入る
午前――垣根作業完了
夜 ――クリスマス演芸会 九時迄
〇来、福岡高女生――クリスマス飾付
〇クリスマス演芸会を子供の主催で行ふ。福高女の生徒さんのお飾りで、
クリスマス気分を十分味ひつつ愉快に行ふ。やはり流行歌が一番多い。
この唄が自然に明朗な児童歌に代る様、われわれの努力が必要である。
演芸会の品性、たまには此の様な品のある会も催し、
丹念な情操教育が必要であろう。演芸会中、各寝室を見廻るも、
各室とも電灯は豆で暗くし、日頃の節電を実行してゐる様が見えた。
百道松風園の『日誌』(1-1-0021115)、昭和22年12月25日のページ
12月25日には、福岡県立福岡高等女学校(翌年、福岡女子高等学校と改称。現在の福岡中央高等学校)
の生徒がクリスマスの飾りつけに来園し、夜にはクリスマス演芸会が開催されたようです。
子どもたちの出し物は、流行歌(の歌唱)が多かったようで、
職員は子供向けの歌が増えるようにしないといけない、と考えつつ、
部屋の節電につとめる子どもたちの姿に、日常生活のルールが身についてきた、
と喜んでいる様子です。
戦争のために親や住むところを失ったり、貧困などのために家を飛び出した子どもたちは、
松風園で迎えるクリスマス会にどんな思いをいだいたのでしょうか。
いずれにしても、クリスマス文化が当時の日本にしっかり根づいていたことが、
こうした資料からも窺えます。
クリスマスが終わると、もうすぐお正月です。