続きです。
福岡市住吉から筑紫郡二日市町の福岡県立農事試験場に移築された〈主基斎田記念館〉。
いったい、試験場内のどこに建っていたのでしょうか?
農業試験場本場配置図(『福岡県立農業試験場百年史』(昭和54年3月刊)より)
上記図面は、二日市時代の農業試験場(農事試験場)の配置図です。
赤丸で示した部分の建物が「記念館」と説明されています。
〈主基斎田記念館〉のことです。
「記念館」から、真下に伸びた直線の先に、黒点二つで示されているのが、試験場の正門です。
つまり、試験場正門の真正面の位置に建っていたことになります。
二日市時代の主基斎田記念館(『福岡県立農業試験場百年史』より)
二日市時代の〈主基斎田記念館〉を撮影した写真↑では、
手前に写る正門との位置関係がよくわかります。
さて、試験場内の〈主基斎田記念館〉の位置を確認したところで、
本題です。
〈主基斎田記念館〉が建っていた場所は、現在のどの辺に当たるのでしょうか?
現在の筑紫野市上古賀付近。青い四角が公文書館(googleマップより)
↑は、「主基斎田記念館のゆくえ2」にも載せた現在の筑紫野市上古賀付近の航空写真。
試験場の跡地に当たる部分です。
中央を縦に走っている直線が、県道137号線。
青い四角で囲んでいる部分が、福岡共同公文書館です。
そして↑は、農業試験場の平面図(部分)。
航空写真に合わせて回転させ、注釈をつけています。
ちなみに赤で縁取りしているのが〈主基斎田記念館〉です。
道路の位置や、溝の形状などに注意しながら、現在の航空写真に平面図を重ねてみます。
おわかりいただけますでしょうか。
なんと〈主基斎田記念館〉は、隣のグランドにまがたるかたちで、
福岡共同公文書館の真裏に建っていたのです。
それとなく、当館と主基斎田記念館との浅からぬ因縁をこじつけたところで、
最後の疑問。
〈主基斎田記念館〉に収蔵されていた、資料の数々はどうなってしまったのか、です。
またまた続きます。