続きです。
昭和3年2月に福岡県が大嘗祭の主基地方に決定してから、
実際に米作りを行う〈斎田〉の選定、栽培する米の選定、農作業を行う奉耕者の選定、
そして実際の米作り作業、各神事の準備・実施、最後の京都大宮御所への奉納に至るまで、
延べ9か月間にわたる斎田事業が行われました。
すべての斎田事業が終了した後、「大嘗祭主基斎田奉仕を永遠に記念し、農業の振興を図る」目的で、
〈主基斎田記念館〉の建設が県会で可決され、
福岡市住吉にあった福岡県立農事試験場
(※昭和24年に福岡県立農業試験場と改称。現・農林業総合試験場)内に、
建坪202坪、純日本式社殿建造りの立派な記念館が完成しました。
記念館建設にあたっては、大嘗祭で使用された建物の一部を下賜され、
京都御所から移築して使用しました。
記念館内部には、斎田事業で使用された農機具、道具、衣裳などが展示されました。
落成記念の絵はがきからは、真新しい記念館の外観や、陳列品の充実ぶりなどが見て取れます。
「主基斎田記念館落成記念絵はがき」より、記念館全景
「主基斎田記念館落成記念絵はがき」より、陳列室内部の様子
昭和14年になると、農事試験場は福岡市住吉から、筑紫郡二日市町(現・筑紫野市)に移転します。
それにつれて、主基斎田記念館も昭和17年3月、同地に移築されました。
福岡県立農事試験場が移転したのは、現在の筑紫野市上古賀です。
昭和14年の移転から約40年間上古賀の地にあった試験場ですが、
昭和56年に筑紫野市吉木へ再度移転しました。
福岡共同公文書館は、この試験場跡地に建っています。
福岡共同公文書館のみならず、南は筑紫野市文化会館から北は筑紫野警察署、
道路をはさんでJT九州工場が建つこの一帯には、かつて広い広い農事試験場が広がっていたのです。
昭和23年撮影の筑紫野市上古賀付近の航空写真(国土地理院HPより)
昭和23年の航空写真で、オレンジ色の線で囲んでいる部分が、農事試験場です。
写真中央を縦に走る白い直線は県道137号線で、
この道路をはさんで、右側に圃場が広がり、左側に建物が並んでいます。
そして、この試験場跡地の現在の姿がこちら↓。ずいぶん変わりました。
現在の筑紫野市上古賀付近。青い四角が公文書館(googleマップより)
さて、上古賀時代、試験場内のどこに、主基斎田記念館は建っていたのでしょうか?
またまた、次に続きます。