福岡公文書館ブログ

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    2018年12月7日

    主基斎田記念館のゆくえ 4

    続きです。

     

    「主基斎田記念館のゆくえ 2」にも書きましたが、

    開館当時の〈主基斎田記念館〉には、

    主基斎田事業で使用された農機具や道具、衣裳などが陳列されていました。

    そのころの記念館内部の様子は、「主基斎田記念館開館記念絵はがき」によって、

    わずかながら知ることができます。

    記念館全景(開館記念絵はがきより)

    陳列室その1(開館記念絵はがきより)

    陳列室その2(開館記念絵はがきより)

     

    絵はがきの写真があまり鮮明ではないのですが、

    衣裳を着たマネキンや、斎田地の模型、様々な標本らしきものが並んでいることがわかります。

    陳列品の詳細については、

    昭和6年に福岡県が発行した『昭和主基斎田記録』に、

    昭和5年6月1日現在の「主基斎田記念館陳列品目録」が掲載されているので、

    それで確認することができます。

    この目録から、いくつか挙げてみますと、

    ・戸畑石油発動機(4馬力)

    ・半田式渦巻ポンプ

    ・ミノル親玉号脱穀機

    ・ナショナル精米機(昇降器共)

    ・荷車

    ・深見犂(すき)

    ・塩水選桶

    ・耕牛装身具 1揃

    ・麻製磨袋

    ・捕虫網

    ・唐櫃(からびつ)

    ・八乙女舞服装(付属品共)

    ・絵はがき(抜穂式記念品)

    ・主基斎田収納米製菓子(昭代)

    ・主基斎田稲株標本

    ・大礼使事務官衣冠束帯 1揃

    ・太田主作業服(冠付)

    ・奉耕者式服・作業服

    などなど、

    主基斎田事業に関するあらゆる資料が収蔵・陳列されていたことがわかります。

    しかし現在、主基斎田事業に関するモノ資料として残っているのは、

    斎田地である早良郡脇山村(現・福岡市早良区脇山)に残された米や箸などの記念品や衣裳、

    当館が所蔵する写真帳や、そのほかフィルムなど、ごくわずかです。

    記念館に収蔵されていた品々は、どうなったのでしょうか?

     

    『福岡県立農業試験場百年史』(昭和54年3月発行)によれば、

    「第2次世界大戦の結果、陳列品のごとくは遺憾ながら逸散し、辛じて建物のおもかげを残すのみである」

    と記され、記念館の建物は残ったものの、

    中の陳列品は、戦後の混乱のなかで散逸してしまったとのことです。

     

    平成27年度に当館が開催した企画展「昭和の主基斎田~福岡県の記録から~」の事前調査で、

    筑紫野市在住のある男性からお話をうかがう機会がありました。

    この方は、戦中から戦後にかけて、上古賀の農事試験場で働いておられた経験をお持ちです。

    その方の話では、

    ・〈主基斎田記念館〉はとても立派な建物だったが、中では展示などはされていなかった。

    ・戦時中、記念館は物資倉庫として利用されており、軍から航空用燃料などを預かっていて、

    見張りも立っていた。

    ・戦後すぐは、記念館にはいろんな人が出入りしていたので、収蔵品もその時に持ち出されたのではないか。

    ということでした。

     

    昭和17年3月ごろに二日市に移築された〈主基斎田記念館〉は、

    戦時中ということもあり、資料の陳列などは行わず、

    戦後の混乱に乗じて収蔵物を散逸してしまった、ということで間違いはなさそうです。

     

    中身を失った〈主基斎田記念館〉は、その後も35年あまり二日市は上古賀の地に建っていましたが、

    昭和56年の農業試験場の再移転の際に取り壊されてしまいました。

     

     

    長くなりましたが、最後です。

    企画展「昭和の主基斎田~福岡県の記録から~」を企画した当初、

    まさか当館と主基斎田とが記念館を通して結びつくなど、まったく想像もしていませんでした。

    しかし、準備段階から、いろいろな人や場所との出会いに恵まれ、

    「ご縁」を感じる場面がたくさんありました。

    今から考えると、当館の場所にかつて建っていた〈主基斎田記念館〉の、

    「展示をして、昭和の主基斎田のことをみんなに伝えてくれ~」という声なき声に導かれて、

    展示を〈させられた〉のではないか、

    と、季節外れのオカルトチックな妄想がわいてくるのです…。

    2018年12月6日

    主基斎田記念館のゆくえ 3

    続きです。

     

    福岡市住吉から筑紫郡二日市町の福岡県立農事試験場に移築された〈主基斎田記念館〉。

    いったい、試験場内のどこに建っていたのでしょうか?

    農業試験場本場配置図(『福岡県立農業試験場百年史』(昭和54年3月刊)より)

     

    上記図面は、二日市時代の農業試験場(農事試験場)の配置図です。

    赤丸で示した部分の建物が「記念館」と説明されています。

    〈主基斎田記念館〉のことです。

    「記念館」から、真下に伸びた直線の先に、黒点二つで示されているのが、試験場の正門です。

    つまり、試験場正門の真正面の位置に建っていたことになります。

    二日市時代の主基斎田記念館(『福岡県立農業試験場百年史』より)

     

    二日市時代の〈主基斎田記念館〉を撮影した写真では、

    手前に写る正門との位置関係がよくわかります。

     

    さて、試験場内の〈主基斎田記念館〉の位置を確認したところで、

    本題です。

    〈主基斎田記念館〉が建っていた場所は、現在のどの辺に当たるのでしょうか?

    現在の筑紫野市上古賀付近。青い四角が公文書館(googleマップより)

     

    は、「主基斎田記念館のゆくえ2」にも載せた現在の筑紫野市上古賀付近の航空写真。

    試験場の跡地に当たる部分です。

    中央を縦に走っている直線が、県道137号線。

    青い四角で囲んでいる部分が、福岡共同公文書館です。

    そしては、農業試験場の平面図(部分)。

    航空写真に合わせて回転させ、注釈をつけています。

    ちなみに赤で縁取りしているのが〈主基斎田記念館〉です。

     

    道路の位置や、溝の形状などに注意しながら、現在の航空写真に平面図を重ねてみます。

    おわかりいただけますでしょうか。

    なんと〈主基斎田記念館〉は、隣のグランドにまがたるかたちで、

    福岡共同公文書館の真裏に建っていたのです。

    それとなく、当館と主基斎田記念館との浅からぬ因縁をこじつけたところで、

    最後の疑問。

    〈主基斎田記念館〉に収蔵されていた、資料の数々はどうなってしまったのか、です。

    またまた続きます。

    2018年12月5日

    主基斎田記念館のゆくえ 2

    続きです。

     

    昭和3年2月に福岡県が大嘗祭の主基地方に決定してから、

    実際に米作りを行う〈斎田〉の選定、栽培する米の選定、農作業を行う奉耕者の選定、

    そして実際の米作り作業、各神事の準備・実施、最後の京都大宮御所への奉納に至るまで、

    延べ9か月間にわたる斎田事業が行われました。

     

    すべての斎田事業が終了した後、「大嘗祭主基斎田奉仕を永遠に記念し、農業の振興を図る」目的で、

    〈主基斎田記念館〉の建設が県会で可決され、

    福岡市住吉にあった福岡県立農事試験場

    (※昭和24年に福岡県立農業試験場と改称。現・農林業総合試験場)内に、

    建坪202坪、純日本式社殿建造りの立派な記念館が完成しました。

    記念館建設にあたっては、大嘗祭で使用された建物の一部を下賜され、

    京都御所から移築して使用しました。

    記念館内部には、斎田事業で使用された農機具、道具、衣裳などが展示されました。

    落成記念の絵はがきからは、真新しい記念館の外観や、陳列品の充実ぶりなどが見て取れます。

    「主基斎田記念館落成記念絵はがき」より、記念館全景

     

    「主基斎田記念館落成記念絵はがき」より、陳列室内部の様子

     

     

    昭和14年になると、農事試験場は福岡市住吉から、筑紫郡二日市町(現・筑紫野市)に移転します。

    それにつれて、主基斎田記念館も昭和17年3月、同地に移築されました。

     

    福岡県立農事試験場が移転したのは、現在の筑紫野市上古賀です。

    昭和14年の移転から約40年間上古賀の地にあった試験場ですが、

    昭和56年に筑紫野市吉木へ再度移転しました。

    福岡共同公文書館は、この試験場跡地に建っています。

    福岡共同公文書館のみならず、南は筑紫野市文化会館から北は筑紫野警察署、

    道路をはさんでJT九州工場が建つこの一帯には、かつて広い広い農事試験場が広がっていたのです。

    昭和23年撮影の筑紫野市上古賀付近の航空写真(国土地理院HPより)

    昭和23年の航空写真で、オレンジ色の線で囲んでいる部分が、農事試験場です。

    写真中央を縦に走る白い直線は県道137号線で、

    この道路をはさんで、右側に圃場が広がり、左側に建物が並んでいます。

     

    そして、この試験場跡地の現在の姿がこちら↓。ずいぶん変わりました。

    現在の筑紫野市上古賀付近。青い四角が公文書館(googleマップより)

     

    さて、上古賀時代、試験場内のどこに、主基斎田記念館は建っていたのでしょうか?

    またまた、次に続きます。

     

     

    2018年12月4日

    主基斎田記念館のゆくえ 1

    12月ですね。

    いつもの年なら、何かと気ぜわしくなる時期ですが、

    今年は暖かいせいか、「師走」に入っても、なんとなく気持ちがのんびりしてしまいます。

    さて。

    もう、2週間ほどたちますが、

    11月23日は「勤労感謝の日」の祝日でした。

    3連休だったという方も、多かったのではないでしょうか?

     

    「勤労感謝の日」が制定されたのは、昭和23年のことです。

    それまで11月23日は、「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)」の休日でした。

    「新嘗祭」は天皇がその年の収穫に感謝する宮中祭祀であり、

    各地の神社でも神事が行われています。

    その新嘗祭のなかでも、

    新天皇が、即位の礼の後に初めて行う新嘗祭を「大嘗祭(だいじょうさい)」といいます。

    天皇が即位後ただ一度だけ行う儀式なので、明治以降はまだ4度しか行われていません。

    今上天皇が即位された1990年に行われた大嘗祭が、直近のものになります。

     

    「大嘗祭」の儀式で使用する新穀を、栽培・収穫し、奉納する役割を担うのが、

    「悠紀(ゆき)地方」と「主基(すき)地方」です。

    この二つの地方(近代以降は都道府県単位)は、亀卜(きぼく)つまり亀の甲羅を用いた占いで選ばれます。

    来年5月1日に、新天皇が即位されますが、その後この亀卜を行う「斎田点定の儀」が行われ、11月に大嘗祭が行われる予定だそうです。

     

    さて、今から90年前の昭和3年。

    昭和天皇の即位の礼と大嘗祭が行われました。

    この時、亀卜によって福岡県が「主基地方」に選ばれました。

    そこで福岡県では、斎田の選定から、米作りなどの主基斎田事業に奔走することになります。

    福岡共同公文書館では、平成28年2月~3月に企画展「昭和の主基斎田~福岡県の記録から~」を開催し、福岡県での主基斎田事業をご紹介しました。

    この展示については、

    当館ホームページ>「展示・講座案内」>「過去のイベント情報」

    に詳細を掲載しておりますので、そちらをご覧ください。

     

    もともとこの展示は、当館にこの主基斎田に関する公文書や写真などの資料が多数移管されており、これらの資料をご紹介する目的で、企画しました。

    しかし、展示準備のためにいろいろ調べていくうちに、

    「やや、これはなにかしら、運命というものに導かれて、この企画が降りてきたのではないか・・・」

    と、思うようなことがわかったのでした。

    それは、なにか?

    次回に続きます。

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