福岡公文書館ブログ

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    パネル展~昭和の主基斎田(すきさいでん)~

    先週末は、台風19号の影響で、福岡でも強い風が吹きました。

    遠く離れた福岡でも、これほどの影響を受けるのだから、

    台風に近い場所はどれほどか…と思ってはいたのですが、

    次第に明らかになった被害の大きさに、愕然としました。

    本当に自然災害は恐ろしいです。

    被災地の皆様には、心からお見舞いを申し上げますとともに、

    一日も早い復興をお祈りいたします。

    また、なにか協力できることを探して実践していきたいと思っています。

     

     

    当館では、9月末に企画展「学校給食ヒストリー」が終了しました。

    企画展にご協力くださったみなさま、ご来場くださったみなさま、

    本当にありがとうございました。

     

    現在、当館展示室では、常設展「公文書に見る福岡のあゆみ」を、

    エントランスでは、パネル展「昭和の主基斎田~福岡県の記録から~」を行っています。

    このパネル展は、平成27年度の冬に行った同タイトルの企画展のリバイバル展示です。

    なぜ、いまさら3年半も前のパネルを展示するのか…といいますと、

    11月に大嘗祭(だいじょうさい)が行われるからです!

     

    大嘗祭は、新天皇が即位後初めて行う新嘗祭(にいなめさい)のことです。

    近代以降では、明治、大正、昭和、平成、そして令和と5度目の大嘗祭になります。

    この大嘗祭にコメを作って献上するのが、

    「悠紀(ゆき)」「主基(すき)」という二つの地域であり、

    その地域は、亀卜(きぼく)という亀の甲羅を使った占いで選ばれます(斎田点定の儀)。

    令和の大嘗祭では、悠紀が栃木県、主基が京都府に決定し、

    この二つの地域の田(斎田)で作られたコメは、先日大嘗宮に供納されました(新穀供納)。

     

    今をさること91年前、大正天皇崩御の後1年間の服喪を終え、

    昭和天皇の即位の礼と大嘗祭が行われたのが、昭和3年(1928)でした。

    その大嘗祭の主基地方に選ばれたのが福岡県です。

    この時の資料(公文書、写真)が、福岡共同公文書館に多数移管されており、

    主基斎田の詳細を知ることができます。

    平成27年度の企画展「昭和の主基斎田~福岡県の記録から~」では、

    公文書、写真、絵葉書、お田植衣裳など、関連資料の展示を行い、

    昭和3年の福岡県を大いににぎわせた、主基斎田という一大事業についてご紹介しました。

    この企画展を行ったときは、まさか次の大嘗祭がこんなに早く行われるとは思ってもいなかったのですが、

    せっかくよい機会なので、過去の企画展のリバイバル展示を行うことにしました。

    展示パネルは、斎田での農作業、お田植祭、抜穂式(ぬきほしき)などの祭祀、

    京都の御所に供納する様子などを記録した写真が中心です。

    当時の福岡県は、この一大事業の顛末を文書だけでなく、膨大な記録写真としても残しています。

    大変画質の良い写真で、91年前の雰囲気を今に伝えてくれています。

    令和の大嘗祭のニュースを見て、大嘗祭や主基斎田にご興味を持たれた方は、

    ぜひこの機会に、福岡共同公文書館に来ていただいて、

    昭和の大嘗祭と福岡県との関わりについても知っていただきたいな、と思います。

    パネルだけでなく、もっと関連資料を見てみたい、という場合は、

    利用申請をすればどなたでも資料の閲覧ができますので、どうぞご利用ください。

     

    ※平成27年度第2回企画展「昭和の主基斎田~福岡県の記録から~」の

     概要や展示資料につきましては、

    当館ホームページ>展示・講座案内>過去のイベント情報>企画展>昭和の主基斎田

    「福岡共同公文書館だより」第9号当館ホームページ>刊行物等>福岡共同公文書館だより

    に掲載しておりますので、あわせてご覧ください。

     

    2019年8月27日

    企画展「学校給食ヒストリー」エントランスより

    あっという間にお盆も過ぎて、8月も残りわずかになりました。

    7月23日から始まった企画展も、折り返し地点を過ぎたところです。

    今回の企画展は、展示室の外(エントランス)にもいろいろと見どころがあります。

    給食年表や福岡県の郷土料理を紹介するパネルの展示、

    アルマイトの食器に触ってみるコーナー、

    石盤・石筆を体験するコーナー、

    明治と平成の小学生の身長を比較するコーナー

    などなど。

     

    そして、今回ご紹介するのは、

    ご来場のお客さまに、小学校や学校給食の思い出をカードに書いて掲示してもらうコーナーです。

    こうしてお客様自身の手で掲示をしていただく試みは、

    以前、5周年記念展示「公文書でめぐる鉄道の旅」でもやりました

    (この時は鉄道に関する写真を掲示していただきました)が、

    展示を見ていただくだけでなく、お客様にも展示に参加していただきたい、

    という趣旨で始めた取り組みです。

    エントランスの片隅にあるので、気がつかずに帰られるお客さまもいらっしゃるのですが、

    今回は、備え付けのカードに

    ・出身小学校

    ・年齢

    ・好きな教科

    ・好きな給食

    ・小学校の思い出(授業、給食、休み時間、運動会、遠足、修学旅行/楽しかったこと、いやだったこと)

    を書いていただいています。

    8月22日現在、87枚のカードが掲示されています。

    今回の企画展は、ご家族連れで来場されるお客様が多く、未就学児さんから70代まで、

    幅広い年齢層のお客様に書いていただいています。

    読んでいると、くすっと笑ってしまったり、わかるわかると共感したり、へえ~と驚かされたり。

    結局、企画者が一番楽しませていただいているようです。

    その中から、給食に関するコメントをいくつかご紹介しようと思います。

     

    給食に関する思い出で多かったのが、次のようなものでした。

    「小学校1年生の時苦手なメニューがあって食べてしまうまで残って食べていました。給食センターのトラックに食器が間に合わず悲しい気持ちになった思い出があります」(40代、福岡県)

     

    「いつも昼休みを過ぎ、5時間目が終わるまで机の上には給食セットが残っていた。帰りの会の時、口の中に無理やり押し込んで「食べました」と言って、学校外に出てすぐ吐き出すのが日々の給食でした」(60代、福岡県)

     

    給食時間内に食べ終わることができず、休み時間や掃除時間、5時間目までぽつんと残されることは、

    子どもにとってはかなりのトラウマですよね。

    私の小学生時代にも、食べ終わることができないまま掃除時間に突入し、

    机ごと教室の後ろに下げられてしまった友達がいて、見る方もツライ気持ちになったものです。

    同じようなご意見が、他にも多数寄せられていました。

    ・嫌いな給食を残したら、後日校長室に呼ばれて、校長先生と一緒に給食を食べさせられました(50代、熊本県)

    ・給食で食べるのがすごく遅く、それが嫌で、早く食べる練習をした事もあった(50代、福岡県)

    ・給食を食べるのが遅かったので、昼休みに教室に残されて、完食させられたのがつらかったです(50代、福岡県)

    ・食べるのが遅かったため掃除時間まで食べたり、牛乳が苦手で手洗い場に流したこともありました(10代、福岡県)

     

    読むだけで切なくなります…。

    また、こんなコメントもありました。

    「じゃがいものオレンジ煮が口に合わなくて、ほとんどの児童が残していた。いつもは注意する先生も、その日だけは何もおっしゃらなかった」(40代、福岡県)

     

    先生をも黙らせる「ジャガイモのオレンジ煮」。ちょっと味見してみたいような…。

     

    いきなりつらい思い出からご紹介しましたが、一方で、こんなコメントもありました。

    「牛乳があまったとき、毎回牛乳ジャンケンに参加して、1日2本牛乳を飲んでいました」(20代、福岡県)

     

    「給食の時間、当日欠席だった人の分をじゃんけんで勝つと食べる事ができた!「残してはいけない」きまりだったので、クラス中で協力し合いながら皆で完食していた」(40代、福岡県)

     

    残ったおかずやデザートの争奪じゃんけん、ありましたありました!

    みんなで協力して「完食」というのは、いいですね。

     

    ところで、みなさんに書いていただいた、「好きな給食のメニュー」では、ダントツ人気が

    カレー

    でした。

    なんと、87名中32名がカレーを挙げておられました。

    なかには、

    「学校給食のカレーが人生で一番おいしいカレーでした」(30代、福岡県)

     

    こんなコメントもありました(笑)。

    「人生で一番」というのは小学校生活の楽しい思い出込みの評価でしょうか。

    でも確かに、給食のカレーってすごくおいしかったです。

    私も小学生の時、母に「給食と同じカレーを作ってくれ」とごねて、困らせたことがあります。

     

    一方で不人気№1は、これまたダントツで、

    脱脂粉乳

    でした。

    これは経験された世代、知らない世代に分かれますが、

    経験された方たちは口をそろえて「まずい!」とおっしゃっています。

    「1年生の時は脱脂粉乳。この世のものとは思えないほどまずかった」(50代、福岡県)

     

    「脱脂粉乳まずかった~!」(60代、福岡県)

     

    直接お話をうかがうことができたお客様から、

    「味も匂いもいやだったけど、冷めた時の表面に張る膜が本当にいやだった」

    という具体的なご意見もいただきました。

    このようにすこぶる評判が悪い「脱脂粉乳」は、

    終戦後、子どもたちに必要なたんぱく源として、GHQの公衆衛生福祉局長サムスが導入を強く主張し、

    日本の官僚も積極的に給食に取り入れたものです。

    しかし、子どもたちにとっては随分悩ましい存在であったようです。

     

    ここまで、人気・不人気のメニューを見てきましたが、他にこんな変わったメニューを挙げてくれた方がいます。

    「もなかに納豆が入っている『なっぴー』なるものが出たことがあります。つめたかったのでアイスかと思ったら納豆で、びっくりしたのを覚えています」(40代、佐賀県)

     

    「なっぴー」というかわいらしい名前の割に、かなり攻めた食べ物のようです。

    北海道の食べ物らしい、ということで、早速インターネットで検索してみました。

    すると「Now Pea」(ナゥピー)という北海道の食品がヒットしました。

    学校給食で提供されていたものが、現在では店頭でも販売されているそうです。

    (昔はナッピーという名称だったそうです)

    果たして、もなかの皮に冷凍納豆が入っているおやつ?でした。

    このコメントをくださった方は、味について書かれてていなかったものの、

    確かに「アイスもなか」と思ってかぶりついて、中身が納豆だったら、

    その衝撃はいかほどか、想像にかたくありません。

    ただ納豆好きとしては、ちょっと試してみたい一品です。

     

    このほか、北海道出身の方が好きな献立として挙げてくださった「味噌ラーメン」、

    長崎県出身の方の「ちゃんぽん」、熊本県出身の方の「太平燕」などから、

    その地域の郷土料理が給食に取り入れられていることがわかりました。

    地域や学校によって、さまざまに異なる給食のメニュー。本当に興味深いです。

     

    また、調理士をされていたお母さまの思い出や、

    離島の小学校の給食事情について書いてくださった方もいて、

    非常に読み応えのあるバラエティに富んだコーナーになっています。

    展示室の中も楽しいですが、ご来場の際には、

    ぜひこの小学校の思い出コーナーもご覧になってください。

    そしてあなたの思い出を残して帰ってください!

     

     

     

     

     

    2019年8月9日

    公文書の綴じ方

    去る8月3日(土)に当館の公開講座、「親子和綴じ講座」を開催しました。

    講師として倉本優子先生をお招きし、26名の親子の方たちが頑張って和綴じのメモ帳を作成されました。

    普段は、なかなかお子さまに来ていただけない公文書館ですが、

    今夏は、企画展「学校給食ヒストリー」や今回の「親子和綴じ講座」などの開催により、

    館内に子供たちの元気な声がひびき、楽しそうな笑顔を見ることができ、

    スタッフ一同大いにいやされております。

     

    さて。

    今回は「和綴じ」から話を始めましたので、公文書の綴じ方について書いてみたいと思います。

    みなさんは、公文書というと、どのような姿を想像されるでしょうか?

    福岡共同公文書館は、明治から平成までの、福岡県および県内58の市町村の公文書を保存しているので、いろんな時代の、いろんな自治体の公文書を一覧することができます。

    そうやって見てみると、「公文書」と一口に言っても、本当に様々な姿をしていることに改めて気づかされます。作成された時代や、作成・使用・保存されていた場所(自治体)によって、その姿は異なるのです。

     

    たとえば、明治時代のある村の公文書。

    明治9年の上山田村(現・嘉麻市)の地租取調帳(村控)です。

    地租改正に伴って作成された文書で、地租の区分(地目)、等級、地租金一覧などが記載されています。

    この文書は、表紙に表題を直書きした(打付書)、四つ目綴じの装丁となっており、

    こうしてきちんと製本されているところを見ると、地租に関する重要な文書として

    長く保存されることを予定して作成されたことが想像されます。

    このような体裁は、いまだ近世の気配が色濃く残る明治初期という時代性を強く感じさせるものです。

     

    これは、明治24年に作成された赤村の「村会議件及雑書留」という公文書です。

    村会の開設告知や議決報告などを綴ったものです。

    共表紙にこより綴じという体裁は、近世の文書でもよく見かけますが、

    明治期の公文書でも多く見られるものです。

    先の地租取調帳と異なるのは、地租取調帳が完結文書として製本されているのに対し、

    こちらは、こよりによる仮綴じの体裁であるということです。

    こうした年ごとの議会文書(仮綴じ)を数年分まとめて製本している例をよく見かけます。

     

     

    こちらは、時代が少しくだって、明治終りごろの福岡県の公文書です。

    表題が打付書きされ四つ目綴じの、和本の体裁ですが、

    先の明治9年のものとは異なり、背の部分を表紙と同じ用紙でくるんであります。

    包背装の一種と考えられるこの体裁では、小口の部分に何も記されない代わりに、

    背の部分に表題が記載されており、和本は平置きが基本ですが、

    こちらは縦置きに保管されていたのではないか、と想像されます。

    文書の保管の仕方も徐々に近代化されていく様子が、こうしたささいな変化からうかがえるのです。

     

    こちらは昭和初期ごろ、横山村(現・八女市)役場が作成した道路台帳です。

    表紙は厚紙で、上下二ヶ所をこよりで綴じています。

     

    こちらは津屋崎町(現・福津市)の町条例という公文書です。

    昭和3年に作成され、昭和26年まで使用されていたものです。

    黒表紙に、上下二ヶ所の紐綴じで、背は表紙とは別の紙が付されています。

    (この背表紙は後補のようです)

    長期間使用するために、中身を加除しやすい様式になっており、

    縦置きで整理しやすいよう、表紙は厚手で、背にもしっかりした用紙を用いています。

     

    昭和も終わりごろになると、紐綴じに代わって、

    金属などの留め具がついたファイルが登場してきます。

    こちらは昭和57年の福岡県公文書です。

    レバーファイルが用いられています。

    レバーファイルは、穴をあけずに文書を綴じておくことができ便利ですが、

    留め具をはずすと文書が散乱してしまう恐れがあるので注意が必要です。

    また、大量の文書を綴じるのには向きません。

     

     

    こちらは、平成4年の福間町(現・福津市)の公文書です。

    パイプ式ファイルが用いられています。

    穴をあけて綴じるタイプのファイルで、大量の文書にも対応可能です。

    仕切りやインデックスを使って、文書を整理することができます。

    しかし、容量に合っていないファイルを用いると、

    無駄に場所をとってしまうという難点があります。

     

     

    こちらは平成21年の岡垣町の公文書です。フォルダで整理されています。

    フォルダは、1枚の厚紙を2つに折った紙挟みです。

    フォルダのタブにタイトルを書いて、文書を挟んで立てて並べて使います。

    検索性、利便性の良いファイリング方法で、文書の見直しがしやすい、

    廃棄しやすいといった特長があります。

    フォルダは、ボックスファイルで保存したり、引き出し式の什器に並べて保存したりします。

     

     

    以上、見てきたように、公文書の綴じ方は年々変化してきました。

    それは、道具の進化ということだけでなく、

    書棚、机などの什器を含む執務室内の環境の変化からの要求によるものと考えられます。

    執務室の環境は、自治体それぞれで異なりますし、

    文書管理の方針もまた自治体ごとに差異があることから、

    公文書も年代ごと自治体ごとに様々な姿をしているのだと思います。

     

    内容ばかりに目が行きがちですが、公文書を外側から見てみるのも、案外楽しいものです。

     

    2019年7月25日

    講演会を開催します

    企画展「学校給食ヒストリー」の関連イベントとして、講演会を開催いたします。

     

    講師は、日本経済大学の竹川克幸先生。

    竹川先生は、福岡県内の食文化や、筑前地方の鶏肉・鶏卵の食文化史研究の第一人者で、

    テレビやラジオでのコメントされることもあり、今回も楽しいお話を聞かせてくださると思います。

    (今朝のNHKアサイチ(福岡の鶏料理特集)でも、パネルでご出演されていましたよ!!)

    タイトルは、

    「記録・文献史料にみる福岡県の食文化誌

    ~福岡の鶏肉・鶏卵の食文化を中心に~」

     

    です。

     

     

    食文化といえば、

    わたしの祖母の家は長崎県の「東彼杵(ひがしそのぎ)」という町にありまして、

    この町は古くから鯨肉の流通拠点として栄えた町です。

    くじらはスーパーで普通に販売されていて、お正月やお盆などで親戚が集まると、

    鉢盛には、赤身やおばいけ、百尋(ひゃくひろ)など、さまざまな部位が並び、皆で舌鼓をうったものです。

    普段も、肉じゃがのお肉のかわりにくじらを入れたり、湯かけくじらなどは、よく食卓に並びました。

    子どものころは、全国の家庭で普通にくじらを食べていると思っていたので、

    そうではない、と知った時は結構ショックでした。

     

    地域の歴史が独自の食文化を生み、郷土料理として定着していくわけですが、

    その流れを逆にたどることはとても興味深いと思います。

     

    福岡県も、各地域で独自の食文化が残っています。

    自分たちが当たり前だと思って食べている料理のルーツはなんなのか、

    地域の歴史との関わりを知ることで、その料理に対する見方が変わるかもしれません。

    今回の講演会は、そうしたことを考えるきっかけになると思います。

     

    「記録・文献史料にみる福岡県の食文化誌

    ~福岡の鶏肉・鶏卵の食文化を中心に~」

    とき:7月27日(土)午後2時~4時(受付 午後1時30分~)

    ところ:福岡共同公文書館 2階研修室

    定員:80名(事前申し込み・先着順)

    申込先・お問い合わせ:福岡共同公文書館(092-919-6166)

    ぜひ、ふるってご参加ください。

    2019年7月24日

    夏の企画展はじめました

     「冷やし中華はじめました」風タイトルですけれども。

     

    令和元年度第1回企画展として、「学校給食ヒストリー」

    7月23日(火)から始まりました。

     

    今回は、学校給食の歴史がテーマです。

    また、給食の舞台であった小学校の歴史もあわせて見ていただける展示になっています。

    当館の、気は優しいけど見た目がイカツイ公文書さんたちを盛り上げるために、

     福岡県学校給食会さま

     筑紫野市歴史博物館さま

     久留米市教育委員会さま

    から、強力な助っ人(資料)に来ていただいております。

    文書とモノ資料とレプリカ、色とりどり、形さまざま、内容もおもしろく、

    目にも楽しい展示になっていると思います。

    公文書、写真、モノ資料で、草創期の小学校の歴史をご紹介しています

    こちらは、昭和20年代の資料。夏休みの宿題の定番「夏休みの友」です。昭和23年から、すでに小学生のお友達だったんですね

    各年代の給食の献立のレプリカを展示したコーナーもあります。おいしそう…

    福岡県の県産品を使った給食の食品の数々

     

    おじいちゃんが子供のころって、小学校あったと?

    お母さんの好きやった給食ってなに?

     

    子どもたちからそんな質問を受けてしまったおじいさま、そしてお母さま。

    どうぞ「学校給食ヒストリー」へお越しください。

    展示を見て、お話に花が咲くと思います。

     

    エントランスでも、パネル展示のほか、

    石盤・石筆体験コーナーやアルマイト食器にさわれるコーナー、

    小学校の思い出を書いて壁に展示してみるコーナーなど、

    色々なコーナーを準備しておりますので、

    夏休み中のお子さまをさそって、帰省中のお友達をさそって、

    ぜひぜひ遊びにきてください!

     

    エントランスでも、給食の歴史年表パネルや、福岡県内の郷土料理のパネルなどを展示しています

    なつかしのアルマイト食器にさわってみるコーナー。なにやら使い方をまちがっているひとがいますが‥

    小学校の思い出を記入するコーナー。小学校の机に向かって、当時の思い出をカードに書いて、壁面に貼りつけてください。壁のカードは、今後このブログのなかでもご紹介していく予定です

     

    しょこらも書いてます

     

    おまちしています!

    2019年5月8日

    令和元年

    改元から1週間過ぎました。

    公文書館も、連休が終わり、いよいよ新元号のもと始動しました。

     

    当館の閲覧室の中央に並べている、福岡県内60市町村の広報紙も

    新しい元号を載せた最新号がやってきました。

    「令和元年5月号」と号数表記の部分に掲載している市町村もあれば、

    左から「広報おおむた」「広報ちくじょう」「広報おおとう」「広報そえだ」「市報かすが」

    左から「広報あさくら」「八女 広報YAME」「広報かすや」

     

    表紙のテーマや巻頭ページに新元号を掲載している市町村もあり、

    上段左「広報たちあらい」同右「広報豊前」、下段左「広報くらて」同右「広報だざいふ」

     

    はたまた元号なしの西暦のみを表記している市町村もあり、

    それぞれに個性があって面白いです。

     

    今回は、昭和から平成への改元と異なり、1か月前に新元号の発表があったので、

    広報紙への掲載もスムーズにいったのではないでしょうか?

     

    ちなみに、平成改元の時は、

    昭和64年1月7日に昭和天皇が崩御され、皇太子殿下が天皇に即位されました。

    同日、臨時閣議において新元号が「平成」と決定し、

    官房長官から記者発表がありました。あの有名なシーンです。

    そして翌1月8日に改元され、平成が始まったのです。

     

    当時の広報紙(1989年1月号)を見てみると、

    1月8日以前に発行された広報紙の発行年は「昭和64年」、

    それ以降に発行された広報紙の発行年は「平成元年」と表記されています。

    (1989年1月号の「広報かすや」(左)と「広報みわ」(右))

     

     

     

     

     

     

     

    (1月1日発行の「広報かすや」の発行年は「昭和64年」(上)、

    1月10日発行の「広報みわ」の発行年は「平成元年」(下)と表記されている)

     

    当時の県内の広報紙すべてに目を通したわけではありませんが、

    今回確認した広報紙では、「昭和」から「平成」への改元をはっきりと示しているのは、

    発行年の元号部分のみで、改元にまつわる写真や特別な記事は見当たりませんでした。

    昭和天皇の崩御ということもあり、社会全体が自粛ムードだったことにもよると思いますが、

    突然「昭和」が終わり、いきなり「平成」になった、という感じでした。

    今回は、静かに「平成」を見送り、にぎやかに「令和」を迎えた、というところでしょうか。

     

    新緑の美しい季節を迎えました。

    令和元年、公文書館も新たな気持ちで頑張っていきます!

     

    ※今回ご紹介した広報紙はすべて当館閲覧室、展示室にて見ることができます。

     ぜひ、ご来館ください。

     

    2019年4月3日

    平成最後の桜…?

    ごぶさたしております。

    年の初めには張りきっていたのに、その後公文書館ブログ休眠しておりました。

     

    先日、新元号の発表がありましたね。

    「令和」れいわ

    出典となった万葉集の詞書の梅花の宴は大宰府の大伴旅人の邸で行われたそうで、

    そう思うと、福岡県民としては親近感が湧いてくるような・・。・・。

    何はともあれ、新元号も決まり、ふわふわとしていた気持ちが落ち着いたような気がします。

     

    「平成」も残り1ヶ月。

    前回の改元の時は、「昭和」の終わりと「平成」の始まりの間には1日しかなかったのですが、

    今回はゆっくりと「平成」を惜しむことができます。

    最近では、何かにつけて「平成最後の」という枕詞がつくのですが、

    九州・四国・本州では「平成最後の桜」も、

    北海道で咲くころには「令和最初の桜」となるかもしれませんね。

    福岡は桜満開です!

    しょこらも昼休みにこっそりお花見

     

    公文書館では、常設展を再開しました!

    今回は、特集「さようなら平成」展もやっています。

    ぜひ見に来てください。

    2019年1月25日

    寒い朝

    こちら、九州は福岡県筑紫野市。

    日中暖かい日が続いています。

    暖冬ですね。

    例年なら、この時期は、朝出勤しようと思うと、車のフロントガラスが凍りついていて、

    「遅刻する~」と自分も凍りつく…ということが、頻繁にあるのですが、

    今冬はフロントガラスガッチガチ体験、それほど味わわずにすんでいます。

    それでも、筑紫野市は内陸部に位置し、朝はぐんと冷え込みます。

    今朝も、公文書館の植込みに霜が降りていました。

    今日はお天気なので、昼間はまた暖かくなりそうです。

     

    2月5日から、冬の企画展が始まります!

    お楽しみに!

    イベント好きなしょこらは、ちょっとうかれてます‥。

    2019年1月5日

    2019年 ブログ初め。

    あけましておめでとうございます。

    残すところ、平成もあと4ヶ月となりました。

    本年もよろしくお願いいたします。

     

     

     

     

    2018年12月28日

    県から文書がやってきました!

    県公文書(長期分)が搬入されてきました。

    当館では毎年、保存期間が満了した県及び市町村公文書のうち、

    歴史資料として重要なもの、いわゆる「歴史公文書」を収集し、永久保存しています。

     

    県公文書については、「有期分(保存期間1年・3年・5年・10年・20年)」と

    長期分(保存期間永年長期、30年)」の2回に分けて引渡しを受けています。

     

    今回(12月6日)は、長期分の県公文書の搬入がありました。

    102箱、800冊以上の文書です。

    年末には、その倍以上の量の有期分の搬入を予定しています。

    当館では、長期保存に耐えられる処理(傷んだ文書の製本補修や虫害防止のための燻蒸)を行い、

    整理保存します。

     

    2018年12月7日

    主基斎田記念館のゆくえ 4

    続きです。

     

    「主基斎田記念館のゆくえ 2」にも書きましたが、

    開館当時の〈主基斎田記念館〉には、

    主基斎田事業で使用された農機具や道具、衣裳などが陳列されていました。

    そのころの記念館内部の様子は、「主基斎田記念館開館記念絵はがき」によって、

    わずかながら知ることができます。

    記念館全景(開館記念絵はがきより)

    陳列室その1(開館記念絵はがきより)

    陳列室その2(開館記念絵はがきより)

     

    絵はがきの写真があまり鮮明ではないのですが、

    衣裳を着たマネキンや、斎田地の模型、様々な標本らしきものが並んでいることがわかります。

    陳列品の詳細については、

    昭和6年に福岡県が発行した『昭和主基斎田記録』に、

    昭和5年6月1日現在の「主基斎田記念館陳列品目録」が掲載されているので、

    それで確認することができます。

    この目録から、いくつか挙げてみますと、

    ・戸畑石油発動機(4馬力)

    ・半田式渦巻ポンプ

    ・ミノル親玉号脱穀機

    ・ナショナル精米機(昇降器共)

    ・荷車

    ・深見犂(すき)

    ・塩水選桶

    ・耕牛装身具 1揃

    ・麻製磨袋

    ・捕虫網

    ・唐櫃(からびつ)

    ・八乙女舞服装(付属品共)

    ・絵はがき(抜穂式記念品)

    ・主基斎田収納米製菓子(昭代)

    ・主基斎田稲株標本

    ・大礼使事務官衣冠束帯 1揃

    ・太田主作業服(冠付)

    ・奉耕者式服・作業服

    などなど、

    主基斎田事業に関するあらゆる資料が収蔵・陳列されていたことがわかります。

    しかし現在、主基斎田事業に関するモノ資料として残っているのは、

    斎田地である早良郡脇山村(現・福岡市早良区脇山)に残された米や箸などの記念品や衣裳、

    当館が所蔵する写真帳や、そのほかフィルムなど、ごくわずかです。

    記念館に収蔵されていた品々は、どうなったのでしょうか?

     

    『福岡県立農業試験場百年史』(昭和54年3月発行)によれば、

    「第2次世界大戦の結果、陳列品のごとくは遺憾ながら逸散し、辛じて建物のおもかげを残すのみである」

    と記され、記念館の建物は残ったものの、

    中の陳列品は、戦後の混乱のなかで散逸してしまったとのことです。

     

    平成27年度に当館が開催した企画展「昭和の主基斎田~福岡県の記録から~」の事前調査で、

    筑紫野市在住のある男性からお話をうかがう機会がありました。

    この方は、戦中から戦後にかけて、上古賀の農事試験場で働いておられた経験をお持ちです。

    その方の話では、

    ・〈主基斎田記念館〉はとても立派な建物だったが、中では展示などはされていなかった。

    ・戦時中、記念館は物資倉庫として利用されており、軍から航空用燃料などを預かっていて、

    見張りも立っていた。

    ・戦後すぐは、記念館にはいろんな人が出入りしていたので、収蔵品もその時に持ち出されたのではないか。

    ということでした。

     

    昭和17年3月ごろに二日市に移築された〈主基斎田記念館〉は、

    戦時中ということもあり、資料の陳列などは行わず、

    戦後の混乱に乗じて収蔵物を散逸してしまった、ということで間違いはなさそうです。

     

    中身を失った〈主基斎田記念館〉は、その後も35年あまり二日市は上古賀の地に建っていましたが、

    昭和56年の農業試験場の再移転の際に取り壊されてしまいました。

     

     

    長くなりましたが、最後です。

    企画展「昭和の主基斎田~福岡県の記録から~」を企画した当初、

    まさか当館と主基斎田とが記念館を通して結びつくなど、まったく想像もしていませんでした。

    しかし、準備段階から、いろいろな人や場所との出会いに恵まれ、

    「ご縁」を感じる場面がたくさんありました。

    今から考えると、当館の場所にかつて建っていた〈主基斎田記念館〉の、

    「展示をして、昭和の主基斎田のことをみんなに伝えてくれ~」という声なき声に導かれて、

    展示を〈させられた〉のではないか、

    と、季節外れのオカルトチックな妄想がわいてくるのです…。

    2018年12月6日

    主基斎田記念館のゆくえ 3

    続きです。

     

    福岡市住吉から筑紫郡二日市町の福岡県立農事試験場に移築された〈主基斎田記念館〉。

    いったい、試験場内のどこに建っていたのでしょうか?

    農業試験場本場配置図(『福岡県立農業試験場百年史』(昭和54年3月刊)より)

     

    上記図面は、二日市時代の農業試験場(農事試験場)の配置図です。

    赤丸で示した部分の建物が「記念館」と説明されています。

    〈主基斎田記念館〉のことです。

    「記念館」から、真下に伸びた直線の先に、黒点二つで示されているのが、試験場の正門です。

    つまり、試験場正門の真正面の位置に建っていたことになります。

    二日市時代の主基斎田記念館(『福岡県立農業試験場百年史』より)

     

    二日市時代の〈主基斎田記念館〉を撮影した写真では、

    手前に写る正門との位置関係がよくわかります。

     

    さて、試験場内の〈主基斎田記念館〉の位置を確認したところで、

    本題です。

    〈主基斎田記念館〉が建っていた場所は、現在のどの辺に当たるのでしょうか?

    現在の筑紫野市上古賀付近。青い四角が公文書館(googleマップより)

     

    は、「主基斎田記念館のゆくえ2」にも載せた現在の筑紫野市上古賀付近の航空写真。

    試験場の跡地に当たる部分です。

    中央を縦に走っている直線が、県道137号線。

    青い四角で囲んでいる部分が、福岡共同公文書館です。

    そしては、農業試験場の平面図(部分)。

    航空写真に合わせて回転させ、注釈をつけています。

    ちなみに赤で縁取りしているのが〈主基斎田記念館〉です。

     

    道路の位置や、溝の形状などに注意しながら、現在の航空写真に平面図を重ねてみます。

    おわかりいただけますでしょうか。

    なんと〈主基斎田記念館〉は、隣のグランドにまがたるかたちで、

    福岡共同公文書館の真裏に建っていたのです。

    それとなく、当館と主基斎田記念館との浅からぬ因縁をこじつけたところで、

    最後の疑問。

    〈主基斎田記念館〉に収蔵されていた、資料の数々はどうなってしまったのか、です。

    またまた続きます。

    2018年12月5日

    主基斎田記念館のゆくえ 2

    続きです。

     

    昭和3年2月に福岡県が大嘗祭の主基地方に決定してから、

    実際に米作りを行う〈斎田〉の選定、栽培する米の選定、農作業を行う奉耕者の選定、

    そして実際の米作り作業、各神事の準備・実施、最後の京都大宮御所への奉納に至るまで、

    延べ9か月間にわたる斎田事業が行われました。

     

    すべての斎田事業が終了した後、「大嘗祭主基斎田奉仕を永遠に記念し、農業の振興を図る」目的で、

    〈主基斎田記念館〉の建設が県会で可決され、

    福岡市住吉にあった福岡県立農事試験場

    (※昭和24年に福岡県立農業試験場と改称。現・農林業総合試験場)内に、

    建坪202坪、純日本式社殿建造りの立派な記念館が完成しました。

    記念館建設にあたっては、大嘗祭で使用された建物の一部を下賜され、

    京都御所から移築して使用しました。

    記念館内部には、斎田事業で使用された農機具、道具、衣裳などが展示されました。

    落成記念の絵はがきからは、真新しい記念館の外観や、陳列品の充実ぶりなどが見て取れます。

    「主基斎田記念館落成記念絵はがき」より、記念館全景

     

    「主基斎田記念館落成記念絵はがき」より、陳列室内部の様子

     

     

    昭和14年になると、農事試験場は福岡市住吉から、筑紫郡二日市町(現・筑紫野市)に移転します。

    それにつれて、主基斎田記念館も昭和17年3月、同地に移築されました。

     

    福岡県立農事試験場が移転したのは、現在の筑紫野市上古賀です。

    昭和14年の移転から約40年間上古賀の地にあった試験場ですが、

    昭和56年に筑紫野市吉木へ再度移転しました。

    福岡共同公文書館は、この試験場跡地に建っています。

    福岡共同公文書館のみならず、南は筑紫野市文化会館から北は筑紫野警察署、

    道路をはさんでJT九州工場が建つこの一帯には、かつて広い広い農事試験場が広がっていたのです。

    昭和23年撮影の筑紫野市上古賀付近の航空写真(国土地理院HPより)

    昭和23年の航空写真で、オレンジ色の線で囲んでいる部分が、農事試験場です。

    写真中央を縦に走る白い直線は県道137号線で、

    この道路をはさんで、右側に圃場が広がり、左側に建物が並んでいます。

     

    そして、この試験場跡地の現在の姿がこちら↓。ずいぶん変わりました。

    現在の筑紫野市上古賀付近。青い四角が公文書館(googleマップより)

     

    さて、上古賀時代、試験場内のどこに、主基斎田記念館は建っていたのでしょうか?

    またまた、次に続きます。

     

     

    2018年12月4日

    主基斎田記念館のゆくえ 1

    12月ですね。

    いつもの年なら、何かと気ぜわしくなる時期ですが、

    今年は暖かいせいか、「師走」に入っても、なんとなく気持ちがのんびりしてしまいます。

    さて。

    もう、2週間ほどたちますが、

    11月23日は「勤労感謝の日」の祝日でした。

    3連休だったという方も、多かったのではないでしょうか?

     

    「勤労感謝の日」が制定されたのは、昭和23年のことです。

    それまで11月23日は、「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)」の休日でした。

    「新嘗祭」は天皇がその年の収穫に感謝する宮中祭祀であり、

    各地の神社でも神事が行われています。

    その新嘗祭のなかでも、

    新天皇が、即位の礼の後に初めて行う新嘗祭を「大嘗祭(だいじょうさい)」といいます。

    天皇が即位後ただ一度だけ行う儀式なので、明治以降はまだ4度しか行われていません。

    今上天皇が即位された1990年に行われた大嘗祭が、直近のものになります。

     

    「大嘗祭」の儀式で使用する新穀を、栽培・収穫し、奉納する役割を担うのが、

    「悠紀(ゆき)地方」と「主基(すき)地方」です。

    この二つの地方(近代以降は都道府県単位)は、亀卜(きぼく)つまり亀の甲羅を用いた占いで選ばれます。

    来年5月1日に、新天皇が即位されますが、その後この亀卜を行う「斎田点定の儀」が行われ、11月に大嘗祭が行われる予定だそうです。

     

    さて、今から90年前の昭和3年。

    昭和天皇の即位の礼と大嘗祭が行われました。

    この時、亀卜によって福岡県が「主基地方」に選ばれました。

    そこで福岡県では、斎田の選定から、米作りなどの主基斎田事業に奔走することになります。

    福岡共同公文書館では、平成28年2月~3月に企画展「昭和の主基斎田~福岡県の記録から~」を開催し、福岡県での主基斎田事業をご紹介しました。

    この展示については、

    当館ホームページ>「展示・講座案内」>「過去のイベント情報」

    に詳細を掲載しておりますので、そちらをご覧ください。

     

    もともとこの展示は、当館にこの主基斎田に関する公文書や写真などの資料が多数移管されており、これらの資料をご紹介する目的で、企画しました。

    しかし、展示準備のためにいろいろ調べていくうちに、

    「やや、これはなにかしら、運命というものに導かれて、この企画が降りてきたのではないか・・・」

    と、思うようなことがわかったのでした。

    それは、なにか?

    次回に続きます。

    2018年11月7日

    11月のバースデー

    10月1日に、那珂川町が市制施行して那珂川市となりましたが、

    福岡県には、11月にお誕生日を迎える市が、二市あります。

    (この場合のお誕生日は、市制施行、つまり「市となった日」を指しています)

     

    市制施行の年代順にご紹介しますと、

    まず、田川市。

    昭和18年(1943)11月3日 伊田町と後藤寺町が合併して、市制施行し、

    田川市となりました。

    両町の合併は、以前から議論されていたところでしたが、

    大きく合併・市制施行へと動き出したのは、

    昭和17年9月に起こった

    田川区裁判所の廃止問題がきっかけでした。

    もともと取扱い件数が多い同裁判所が廃止となったのは、

    この地区が市制施行していないことが原因となっていることがわかったのです。

    両町は、合併そして市制施行についての協議へと進んでいくことになります。

        

        (左)伊田町が作成した市制施行に関する公文書 (右)後藤寺町が作成した市制施行に関する公文書

     伊田町、後藤寺町とも、それぞれ慎重に調査検討を行った上で、両町協議に入っていった。

     二つの公文書を読み比べると、合併に対する両町それぞれの思惑が垣間見えて、とても興味深い。

     

    昭和18年5月に正式な合併協議を始め、

    わずか5ヶ月後には内務大臣から市制施行の正式な認可を得ることができました。(以上「田川市史」参照)

       

    (左)「大田川市建設に関する後藤寺・伊田両町会議員懇談会」議事録(『両町合併市制施行ニ関スル経過事蹟(後藤寺町)』より)

    (右)「市制施行の儀に付上申」(『市制施行調査書綴』(田川市)より)後藤寺、伊田両町長から内務大臣に提出した上申書の写し

     

    「町を廃し田川市設置の件」(『合併市制施行上申書』(田川市)より)

    福岡県知事から内務大臣に提出した稟請書の控え。

    市制施行の日を「明治節」(明治天皇の誕生日、現在の文化の日)に合わせて、11月3日と決めたことがわかる。

     

    そして11月3日、田川市が誕生したのです。

    田川市は、今年75回目のお誕生日を迎えました。

     

    *************************************

     

    次に、中間市。

    昭和33年(1958)11月1日 中間町が市制施行して中間市となりました。

    戦後、行政事務処理の効率化と住民福祉の向上をはかるために、

    市町村の規模を見直そうということになりました。

    町村合併促進法や新市町村建設促進法が公布・施行され、

    町村合併や市制施行が進みました。

    いわゆる昭和の大合併です。

    福岡県でも、町村合併促進審議会条例を制定して合併を進めました。

    昭和29年までに、柳川市、山田市、甘木市、八女市、筑後市、大川市、行橋市

    が市となりました。

    中間町を含む遠賀郡では、昭和25年に、遠賀郡6町村が合併して遠賀市を

    誕生させる計画が浮上しましたが、実現にはいたりませんでした。

    さらに、地方自治法が定める市制施行の基準が「人口5万以上」であり、

    中間町の人口はこれに達していないために、単独での市制施行は難しい状況でした。

    しかし昭和33年4月、地方自治法の一部を改正する法律が公布され、

    昭和33年9月30日までに申請を行った自治体は、

    人口3万以上をもって市になることができることになりました。

    これを受けて、中間町議会は市制調査特別委員会を設置し、

    市制施行に関する調査検討を行い、9月17日の町議会で、市制施行が可決されました。

    まさに、タイムリミット寸前の決定でした。(以上「中間市史」参照)

     

    (左)『市制施行事績 中間市』(福岡県公文書) 

    (右)中間町が福岡県に提出した「市制申請書」の表紙(上記『市制施行事績』より)

     

    ↑ 市制申請書の日付は昭和33年9月17日(上記『市制施行事績』より)

     

    ↑ 市名を「中間市」とすること、市制施行日を「11月1日」とすることが記載されている。(上記『市制施行事績』より)

     

    そして中間市は、今年、60回目のお誕生日を迎えました。

     

    人に歴史あり、と言いますが、

    市町村にも歴史あり、です。

    自分の住んでいる市町村のお誕生日、調べてみませんか?

     

     

     

    2018年10月10日

    那珂川市誕生!

     

    皆さまご存じの通り、10月1日に那珂川町が市制施行し、

    那珂川市が誕生しました。

     

    これで福岡県内の市町村の内訳は、29の市と29の町と2の村となりました。

    と同時に、筑紫郡が無くなりました。

     

    筑紫郡は、明治29年(1896)の郡制施行時に、御笠郡、那珂郡、席田郡の区域をもって発足しました。

    発足当初は、2町20村が属していました。

    大正15年(1926)に郡役所が廃止され、郡は単なる地域区分の名称となりました。

    昭和47年(1972)に筑紫郡に属していた5町のうち、筑紫野町、春日町、大野町が市制施行し、

    昭和58年(1983)に太宰府町が市制施行して、筑紫郡に属する町は那珂川町だけになっていました。

    そして今回、那珂川町が市制施行したため、筑紫郡に属する町が無くなり、筑紫郡が消滅した、

    というわけです。単なる地域区分なので、無くなるからどうということもないのですが、

    市の誕生の陰でそっと姿を消す、というのがちょっぴり切なくもあります。

     

    当館でも、那珂川市の誕生に合わせて、掲示物や見出しの変更をしました。

    エントランスのパネルや…

     

    閲覧室の棚の表示も…
    「那珂川町」から「那珂川市」へ変更しました。

     

    そして、当館にやって来た那珂川市作成の資料第1号は、「広報なかがわ」でした。

     

    「広報なかがわ」10月号の裏には「発行・那珂川市」の表記が!

     

     

    「広報なかがわ」を含む、県内自治体の広報紙は、当館閲覧室に置いています!

     

     

     

    2018年10月4日

    10月になりました

    早いもので10月です。

    暑さがようやく一段落した、とほっとしていたら

    ここ数日の朝晩の冷え込みで、あっという間に風邪を引いてしまいました・・・。

    まったく油断できない季節の変わり目です。

     

    ここ数日といえば、

    ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった、本庶佑先生の会見を見て、

    心洗われる思いがしています。

    研究には、好奇心とあきらめない気持ちが大切とのこと。

    どちらも、年を重ねるうちに、失いがちですが、

    研究のみならず、日頃のお仕事にも生活にも大切なことだと改めて思いました。

    よし!

    好奇心を満タンにして、ブログのネタを探そうっと。

     

    さて。

    当館の夏の企画展は、無事に終了いたしました。

    ご観覧くださった皆さま、ありがとうございました。

    ご協力いただいた皆さま、ありがとうございました。

    展示替え風景。展示資料を片付けて、がらんとした展示ケース。嗚呼、祭りの後の寂しさよ!

     

    企画展開催期間中、ケース内に展示していた特大錦絵は、

    しばらくエントランスに掲示しておりますので、

    「見逃した」という方、「もっと近くで見たかった」という方、ぜひ御覧ください。

    展示室では、9月29日(土)から常設展を行っております。

    こちらもぜひどうぞ!

    久しぶりの常設展です。

     

    なお次の企画展は、来年2月からを予定しております。

    そのうち、詳しい情報をお届けしたいと思います。

     

     

    みなさん、くれぐれも、風邪には気をつけてくださいね!

     

    2018年9月19日

    明治初期の人相書―企画展展示資料より―

    企画展も残り日数がわずかとなってきました。

    大変だった準備作業の日々を、

    「あの頃はワクワクして楽しかったよな~」と懐かしく思い出す今日この頃です・・。

     

    さて、今回の企画展、錦絵もさることながら、福岡県立図書館からお借りした、

    「福岡県史稿」という資料が、これまたすごくおもしろいものでした。

    佐賀の乱や秋月の乱、西南戦争に関する電報綴り、事件に関する県と関係地域の戸長とのやり取り、

    事件の捜査の探偵書、取調書などなど、読めば読むほど興味がつきません。

    ただ、展示する上で、「文書」はなかなか悩ましい存在です。

    中身を読んでもらわないと意味も面白さもわからない。

    でも、古い文書は、くずし字で書かれていたり、文語体で書かれていたりして、

    なかなか読みづらい。

    すっきりと、わかりやすく、それでいて「文書」の持つ面白さを十分に伝える・・・

    これは、公文書館における展示の大きな課題ではありますが、

    せっかくブログなぞやっていますので、この場を借りまして、

    展示中の文書資料をご紹介してみよう、と思います。

     

    今回展示している県立図書館所蔵「福岡県史稿」のなかで、比較的読みやすく、

    内容がわかりやすいのが、逃亡者捜索のための「人相書」です。

    現代でも、指名手配犯のモンタージュ写真や似顔絵が、交番や公共の建物などに掲示されているのを

    目にします。時代劇でも、高札に下手人の似顔絵を掲示している場面を見かけますが、江戸時代以来、

    人相書といえば、姿かたちの特徴を箇条書きで示すのが一般的でした。

     

    ご紹介するのは、西南戦争のさなか、明治10年3月に発生した「福岡の変」の首謀者の一人、

    武部(建部)小四郎の人相書です。

     

    西南戦争が始まると、福岡でも西郷軍に呼応して挙兵をもくろむ、越智彦四郎、武部小四郎ら

    士族たちの動きが活発化し、ついに明治10年3月末、決起して福岡城を襲撃します(「福岡の変」)

    が、あえなく失敗に終わります。越智彦四郎らの敗走を知った、別動隊の武部小四郎は、

    逃走して身を隠します。この武部小四郎捜索・捕縛のために、福岡県は人相書を作成しました。

    「福岡県史稿 福岡県暴動ニ付達書留他」の建部(武部)小四郎の人相書

     

    人相書

    士族 建部小四郎

    三十四、五歳位

    一、丈  高く痩たる方  (身長:高く痩せている)

    一、顔  長き方     (顔:面長)

    一、色  白き方     (色:色白)

    一、髪  斬切      (頭髪:ザンギリ頭)

    一、眼  大なる方    (眼:大きい)

    一、眉  常体      (眉:普通)

    一、鼻  高き方     (鼻:高い)

    一、唇  常体      (唇:普通)

    一、歯  掽       (歯:掽※並んでいるほどの意か)

    一、音声 穏なる方    (声:穏やか)

    一、宗旨

     

    当時の人相書はだいたいこんな感じですが、逃亡時の服装や持ち物の特徴などを

    記したものもあります。

    それにしても。

    むむ。

    年の頃は三十四、五。痩せて背が高く、色白、面長、鼻が高く、短髪で、穏やかな声…。

    正直、こんな人、どこにでもいそう…。

     

    しかし、福岡上土居町に潜伏中だった武部小四郎は一ヶ月後に捕縛され、斬罪に処せられます。

    現代と比較して地域コミュニティの力が強かった時代ですし、

    意外と今よりは身を隠しにくかったのかもしれません。

     

    この人相書が綴られている、「福岡県史稿 福岡県暴動ニ付達書留他」には、

    他にも「福岡の変」に関する興味深い資料が多く、丁寧に読んでいくと、

    当時福岡を騒がせた事件の詳細が浮かび上がってきます。

    「福岡県史稿 諸方電報綴」では、当時この事件に関して、中央政府や近県知事たちと通信した

    電報が残っており、そのスピード感に満ちたやり取りからは、ニュースを見ているような臨場感を

    味わうこともできます。

    また、福岡県公文書「辞令原簿」には、この福岡の変の鎮圧に参加した巡査たちの

    負傷の様子が記載され、通史では「決起したものの失敗に終わった」と

    簡単に描かれる福岡の変の断片が、被害者を通して垣間見えますし、

    また地元紙「筑紫新聞」も多くの紙面をさいて、「福岡の変」について報じています。

    人相書も含め、事件と同時代のこうした文書資料を丹念に読み解くことで、

    通史では数行で片付けられる事件の骨組みに肉付けをすることができます。

    文書資料は、一見とっつきにくいけれど、

    仲良くなれば、いろんなことを教えてくれる、魅力的なツンデレさんなのです。

     

    あ。

    人相書は、秋月の乱に関しても展示していますので、展示が終了する前に見に来てくださいね!

     

    2018年9月4日

    企画展も後半戦!

    「暑い、暑い」と言っているうちに8月が過ぎ去り、

    いつの間にか、9月がやってきていました。

    しかし、まだ暑い。。。

     

    さて。

    7月18日(水)から開催している、企画展「西南戦争―かけめぐる情報―」も、

    折返し地点を過ぎました。

    酷暑であったにも関わらず、7月8月と、来館されるお客様の数も順調でした。

    足を運んでくださった皆様、ありがとうございました。

    8月21日(火)からは、展示資料の一部を入れ替えまして、装いも新たに、

    絶賛開催中!

    でございます。

     

    今回の展示替えでは、19点の錦絵資料を入れ替えています。

    限られた開催期間中、なるべく多くの錦絵を見ていただきたい、ということで、

    大幅に入れ替えております。

    入れ替え資料の一部
    「〔極征〕勝陣揚」(梅堂国政画、明治10年3月24日届)

     

    先日来館されたお客様から、

    「くずし字が読めたらもっと面白いのになあ…」というご意見を聞き、

    錦絵中の詞書(ことばがき)を活字化したパネルや、

    作品解説のパネルを増やしております。

    (スペースの関係で、すべての資料に対応することができませんでしたが・・)

     

    今後とも、展示や展示資料に関して、ご意見やご質問がありましたら、

    どんどん当館へお寄せください。

    お客様の声を参考にして、今後とも楽しい展示を企画していきたい、と思っています。

     

    「西南戦争―かけめぐる情報―」も、残り3週間です。

    久留米と北九州からやってきた、錦絵の数々。

    県立図書館からやってきた、電報資料の数々。

    貴重な原資料をこのように一覧できる機会は滅多にありません。

    この機会を逃さず、ぜひぜひ福岡共同公文書館へ足をお運びください!

    しょこらも待ってます

     

    2018年8月7日

    福岡共同公文書館のおしごと(文書班編)

     

    以前、「福岡共同公文書館のおしごと」で概要をお話ししましたが、

    今回は文書班のお仕事を少し詳しく紹介します。

     

    文書班は

    公文書の移管(自治体から公文書館に移す)

    公文書の選別(公文書館で保存するかどうかを判断する)

    公文書の整理・保存に関すること

    を担当しています。

    今回は公文書が移管されるまでをお話しします。

     

    県や各市町村で作成された文書にはそれぞれに

    1年・3年・5年・10年・30年といった保存年限が設けられています。

    そして保存年限を過ぎると、文書を廃棄するか重要な文書として

    保存するかという判断をする必要があります。

     

    まずは、

    各自治体がリスト作成(今年度であれば主に平成28年度・平成25年度・平成23年度・

    平成18年度・昭和61年度に作成された文書が対象となります)

    次に、

    リストを基に県や各市町村が廃棄するか、保存する文書として公文書館に移管するかを決定します。

    (これを1次選別をいいます)

     

    1次選別は基本的には県や各市町村で行うのですが、時には公文書館が

    「目録選別」や「現地選別」という形でお手伝いします。

    「目録選別」とは、県や各市町村が作成したリストを見て

    公文書館の職員が廃棄か保存かの判断をします。

    ある市からこのようなリストが送られてきました

     

    この市の今年度保存年限満了するリストです(この分厚さ!)

     

    「現地選別」とは、公文書館の職員が市町村の役場に行き直接文書を見て

    廃棄か保存かの判断をします。

    廃棄か保存かの判断は行政の推移・内容・仕組み等が明らかとなるものや、

    住民生活、社会情勢を反映した重要な文書を保存するという観点から定めた

    選別基準を基に行います。

     

    このような1次選別の後に保存の必要ありと判断された文書が

    公文書館へと移管されます。

    (文書搬入の様子は2018年5月30日に紹介しました)

     

    2018年8月3日

    企画展開催中!

    毎日、暑いですね~。少し外に出ただけで、溶けそうです。

    こんな時は、ぜひ公文書館へお越しください!

    冷房が効いていますし、休憩コーナーもございます。

    そして何より。

    現在、企画展を開催中でございます!

     

    今年度第一回企画展は、「西南戦争―かけめぐる情報―」です。

     

    今年2018年は、明治維新から数えて150年です。明治10年に起こった西南戦争からは、ちょうど140年の節目。

    大河ドラマでも「西郷どん」が放送されていますね。

     

    西南戦争中、電報によってほぼリアルタイムで情報が伝達され、

    新聞や錦絵によって戦況が全国に報道されたことをご存知でしょうか?

    幕府が倒れ、日本の近代化が始まってから、わずか10年後の話です。

     

    今回の展示のテーマは、西南戦争をめぐる「通信」「報道」です。

    電報がいかに戦況を伝え、新聞と錦絵がいかに戦況を報道したか、ということを、当時の資料を用いてご紹介しています。

    展示風景。錦絵の拡大パネルでは、細部までしっかりと見ていただけます。

     

    何と言っても、見どころの一つは、豊富な錦絵資料です。

    今回は、北九州市立大学の生住先生、久留米大学の大庭先生のご協力を賜り、

    両大学および先生個人が所蔵されている貴重な錦絵を多数展示しております。

    なかには、明治7年頃から14年頃にかけてのきわめて短期間しか発行されなかった、珍しい錦絵新聞や、

    判じ絵になっていて絵解きするとさらに面白い風刺画などもあり、

    どれもこれもじっくりと見ていただきたいものばかりです。

    西南戦争もの錦絵ということで、明治10年に発行されたものが多いのですが、

    つい最近刷られたか、と見紛うほど色鮮やかで美しい状態です。ぜひ、来館して実際の資料をご覧ください。

     

    展示資料「西郷隆盛戦死ノ図」(大判三枚続錦絵、細木年一画、明治10年10月6日届、個人蔵)
    ※記事「賊魁(ぞくくわゐ)城山の岩崎谷に於て 官軍の重囲(ぢうい)に陥落(おちいり) 進退窮迫(きうはく)する処 許多(あまた)の官兵進み来り 終に西郷隆盛を生捕(いけどり)にせんと 組打に相なる処 別府新介駈(かけ)来り 隆盛の首(くび)を打落し 城山岩崎(いわさき)の土中に埋(うめ)し由 絵入新聞に見ゑたり」 
    ★この資料の展示は8/19まで

     

    また、もう一つの見どころが電報です。福岡県立図書館所蔵の資料を多数展示しております。

    明治10年当時、実際に福岡県と各府県や政府との間でやりとりされた電報の記録は、

    臨場感にあふれ、読めば読むほど興味が尽きません。

    電報資料はカタカナ表記なので、くずし字が苦手だわ、という方にも、容易に読んでいただけると思います。

     ▲明治10年3月7日午後9時25分に久留米支庁から福岡本庁へ送信された、田原坂の戦況を伝える電報資料。

     「サクジツ タハラサカ ノリトリタル ヲモムキ ゴホウチセシトコロ ゴゴハチジマデ ゲキセン ダイバ ニカシヨ セメトリタレドモ ノコリイツカシヨノダイバヲ ゾクカタクマモリ・・・」(「福岡県史稿 諸方電報綴 第3号」(福岡県立図書館蔵))

     

    また、エントランスでは、西日本新聞社から借用した福岡の新聞の歴史についてのパネルや、

    電報でたどる西南戦争として、電報資料をわかりやすくパネル化した展示も行っておりますので、

    こちらもあわせてご覧ください。

    多種多様な錦絵の数々

     

    エントランスに展示した西日本新聞社作成のパネル。福岡の新聞黎明期から現在の西日本新聞にいたるまでの流れがよくわかります。

     

    「電報でたどる西南戦争」コーナー。福岡県立図書館所蔵の電報資料のなかから、西南戦争の主要な戦況部分を抜き出しています。電報の簡潔な文章から、時々刻々と動いていく西南戦争の様子がよくわかります。

     

    8月20日(*休館日)に資料の入れ替えを行います。

    8月19日()までしか見られない錦絵もありますので、ぜひお早めにお越しください!

     

    2018年8月2日

    専門員さんインタビュー!!!

    今年の5月、当館文書班に新しいメンバーが仲間入りしました。

    平均年齢高めの当館において、貴重な20代。

    爽やかな笑顔が印象的なK君ですが、そろそろ公文書館にも馴れたかな?

    公文書館勤務4ヶ月目を迎えるK君に、突撃インタビューをします!

     

    ――まずは、K君のことについて教えてください。

    九州大学大学院博士後期課程で、日本近代史を専攻する学生です。

    主に大正期における理工系の人材(技術者など)育成についての研究をしています。

     

    ――現役の大学院生なんですね。公文書館の職員募集に応募したきっかけは?

    これまで、歴史資料館などで資料整理などの業務を経験してきました。

    そこで培った技能を活かせる職場だと考えて、応募しました。

     

    ――資料整理には馴れているK君です。公文書館、公文書館業務の第一印象は?

    公文書館については、パンフレットや年報などで、ある程度のイメージは持っていたつもりです。

    でも、実際に現場に入ってみると、若干、戸惑いを感じました。

    これまで僕が研究者として資料を見てきた視点と、行政経験者が公文書を見る視点とには、

    少し隔たりがあるような気がしたからです。

     

    ――公文書と歴史資料との違いを感じたんですね。3ヶ月勤務してみて、業務に対する印象は変わりましたか?

    まずは、公文書の形式に馴れてきました(笑)。

    そして、実際に行政の現場におじゃまする機会があり、公文書が作成される現場や、

    作成に携わる行政職員の話を聞いて、改めて公文書を見ると、

    書かれている内容についての興味が湧き、面白さを感じました。

     

    ――文書班専門員のお仕事のなかで、いちばん難しいことはなんですか?

    選別です。選別基準に従って、公文書館で永久保存する文書を決めていくのですが、

    行政経験者に聞かないと、判断に困ることがまだまだあります。

    ただ、公文書を一冊一冊精査して、選別基準に当てはめ、保存か否かを判断していく、

    という作業を繰り返すことは、資料の重要な部分を見出す能力を鍛えることにつながります。

    これが、自分の研究にも良い効果をもたらしてくれています。

     

    ――K君は一番の若手になりますが、他の専門員さんたちは優しくしてくれますか(笑)?

    はい。色々(笑)教えてもらっています。

     

    ――最後に、これからの意気込みをお願いします!

    僕ら専門員は、お客様に接することはほとんどありません。

    ですが、お客様の利用に供するため、バックヤードで、日々多くの文書と向き合っています。

    作業のなかで興味深い公文書に出会うことも多々あります。

    皆さまもぜひ、公文書館へ足を運んでいただきたいと思います!

     

    K君、ありがとうございました。これから、若い力で公文書館を引っ張っていってほしいと思います。

     

    公文書を精査し、選別シートを作成しています

    2018年5月31日

    梅雨入り

    新緑の季節は足早に去り、九州北部地方は先日梅雨入りしました。

    平年より8日、梅雨入りの遅かった昨年より23日も早い梅雨入りです。

    5月に梅雨入りするのは、5年ぶりだそうです。

     

    昨年7月、梅雨明け間近の福岡県に大きな災害が起こりました。

    九州北部豪雨です。この災害は、朝倉市、東峰村を中心として、

    各地に大きな爪痕を残しました。

    もうすぐ一年が経とうとしていますが、

    現在も復旧に向けて頑張っている方々がいらっしゃいます。

     

    福岡共同公文書館が開館した平成24年にも、筑後地域を中心とした豪雨災害がありました。

    被災地域では記録誌を作成して、この災害の記録を残しました。

    「災害は忘れたころにやってくる」といいますが、だとすれば、

    あの日あの時の記録を残して、いつまでも忘れないようにしておくことは、

    大切なことではないでしょうか。

     

    梅雨に突入したいま、平成24年豪雨災害記録誌、

    平成29年の災害を記録した広報紙を読み返し、

    防災への意識を新たにしたいと思います。

    平成24年7月に発生した豪雨災害の経緯、被害についての記録誌。
    左から、
    「平成24年7月うきは市の災害記録 九州北部豪雨Document」(H26.3、うきは市)、
    「平成24年7月九州北部豪雨災害記録誌」(H26.3、うきは市)、
    「平成24年九州北部豪雨による7.14災害の記録」(H25.3、柳川市)、
    「7.14笠原 写真記録集」(H25.7 夢かさはら自治運営協議会) 
    *いずれも、当館閲覧室にてご覧いただけます。

    2018年5月30日

    飯塚市から文書がやってきました!

     こちらの写真は、飯塚市からの文書搬入の様子です。

     全部で27個の段ボールです。文書の数は181冊です。

    さて、中身をのぞいてみましょう・・・

    段ボールの中には、貴重な文書が・・・

     

    古い公文書があるようです。

    昭和8年に作成された市会協議録の文書があります。(市会とは、現在の市議会のことです。)

    紙も少し変色しています。

    飯塚市は毎年、廃棄年度になった公文書の中から歴史公文書と思われるものを公文書館に搬入されています。

     

    当館では、これを二次選別し、歴史公文書として保存しています。

     

     

    2018年5月15日

    閲覧室へおいでませ

    福岡共同公文書館は、いかつい外観のせいなのか、

    謙虚な看板のせいなのか、

    お客さまがわんさか押し寄せる、という日は滅多にありません。

     

    そのために、内部は、常に静かで落ち着いた、オトナの空間となっております。

     

    本日は、そんな当館の閲覧室をご紹介します。

     

    正面玄関を入ってまっすぐ進んでいただくと、透明ガラスの奥に、

    何やら書棚の並んだお部屋が見ていただけると思います。

    閲覧室です。

    ↑閲覧室。明るくて気持ちの良い空間です。

     

    カウンターを挟んで、職員が仕事をする事務室と同じ空間にあります。

    時々、自動ドア越しに、閲覧室をのぞき込むお客さまと目が合ったりすると、

    恥ずかしそうに目をそらして帰って行かれることがあります。

    その背中に「ご自由に入れますよ~!」とお声がけしたくなるのですが、

    今後は、さりげなく、なにげなく、お客さまの入りやすい雰囲気づくりに

    つとめていかなければなりません。

    ↑資料検索用端末

     

    さて。

    閲覧室は、どなたでもご利用できます。

    明るくて、静かで、きれいです。

    置いているのは、福岡県および県内の市町村が作成した刊行物です。

    いわゆる「行政資料」です。

     

    ↑うちの行政資料たち。 …。…ば、映(ば)えない。
    でも行政活動の大切な記録なんです。

     

    ↑全国の公文書館の紀要なども集めています。勉強になります!

     

    ↑自治体史コーナー(一部)。鋭意収集中!

     

    身近な行政資料は、「広報紙」、「自治体史」、「年報」などがあります。

    当館の特徴(=共同公文書館)として、県内すべての自治体の資料が集まっていますので、

    それぞれを比較検討することが可能です。

    広報紙は、そうした特徴をよく表しています。

    ↑広報紙コーナー。裏側にも並べています。全61紙完備。

     

    そもそも、よそのまちの広報紙を手にとり、じっくり見る機会などあまり無いと思います。

    当館では県内の広報紙がいっぺんに見られます。

    昨年の夏の企画展でもとりあげましたが、

    広報紙は一紙一紙が個性的で、表紙だけ並べて見ても、本当に面白いです。

    おしゃれなタウン誌的なものから、質実剛健的なものまで、実にさまざまです。

    また、紙面のつくりも、自治体ごとのカラーがあって、読みごたえがあります。

    ・・・あ。今週、あのまちで面白そうなイベントがあるぞ!

    ・・・へえ、このまちにはこんな歴史があるのかあ。

    有名タウン誌より、ディープで細かい情報が満載なのが広報紙です。

    そのまちのことを知るには、まず広報紙から。

     

    ぜひ、見に来てください!待っとるけんね!

    ↑受付カウンターです。利用に関する申請、ご相談をお受けしています。
    資料を見つけるお手伝いもいたします。お気軽におたずねください!(^^)!

    2018年4月25日

    福岡共同公文書館のおしごと

    福岡共同公文書館では、二つの班が分担して仕事をしています。

     

    公文書の移管・選別・整理・保存に関することを担当する、文書班

    公文書の審査・閲覧、展示、視察見学、講座・講演会の運営などを担当する、総務企画班

     

    当館へやってきた公文書は、まず文書班が受け取ります。

    内容の確認をおこない、それをリストにしたうえで、選別会議にかけます。

    選別会議は、当館で永久保存とする公文書かどうかを決める会議です。

    選別会議で、「保存」と決まった文書については、保存に向けての作業に移ります。

    検索システムに書誌情報を入力し、検索ができるようにします。

    公文書には、1冊1冊に、ID番号・バーコードが印字されたラベルを貼り、

    燻蒸を行います。

    燻蒸が終わった公文書は、中性紙の保存箱に入れ、保存庫に入れます。

    ここまでが文書班のおしごとです。

     

    文書班による手続きが終わった公文書は、誰もが検索システムでその情報を見ることができます。

    また、実際に閲覧・利用したい、という申請も可能となります。

    お客様からの「この公文書が見たい」という利用申請は、総務企画班が受けます。

    申請が出された公文書1冊1冊につき、再度内容を確認し、当館の利用審査基準にしたがって、

    全てをみていただく(全部利用)か、

    個人情報などがあるためにマスキング(黒塗り)して見ていただく(一部利用)か、

    という審査会議を行います。

    もし、文書の広範囲にわたってマスキング部分がある場合には、

    全ページを複写して、マスキング作業を行う必要があります。

    ここまで準備ができると、実際にお客様にきてみていただけるようになります。

     

    その他、公文書館のことや業務について、または所蔵している公文書について、

    より多くの人に知っていただきたいということで、

    年に2回の企画展講演会講座なども開催しております。

     

    ここでは、ざっくりと概要をお話ししましたが、公文書館のおしごとについては、

    今後も時々お伝えしていくので、楽しみにしてくださいね。

    2018年4月14日

    福岡共同公文書館のひとびと

    福岡共同公文書館の職員は、現在14名です。

    館長以下6名の正職員と、8名の非常勤嘱託職員がはたらいています。

    福岡共同公文書館は、

     

    福岡県の公文書館

    福岡県の市町村公文書館

     

    という二つの顔をもっています。

    要するに、福岡県と市町村が一緒に運営している公文書館ということです。

    この共同方式は全国の公文書館のなかでも、今のところ当館だけです。

     

    そんなわけで、当館では、福岡県職員と市町村職員が一緒に働いています。

    一方、非常勤嘱託は、行政職OBから現役大学院生まで、年齢・経歴ともに、

    バラエティに富んでいます。

    公文書の選別、目録の作成、配架、利用、普及活動・・・。

    お仕事の詳細は、また別の機会にゆずるとしまして。

    とにかくみんな、公文書のことばっかり考えています(多分)。

     

    3月4月は、出会いと別れの季節。

    当館でも、先日、職員の入れ替わりがありました。

    毎日顔を合わせていた人たちとお別れするのは寂しいけれど、

    新たに赴任してきた人たちが、公文書館にフレッシュな空気をもたらしてくれています。

    新しいメンバーで、開館6年目の今年度もがんばっていきます。

    公文書館の植え込み。草のまにまにいろんな花が咲いていました。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    2018年4月13日

    ブログはじめました

    福岡共同公文書館のことをたくさんの方に知っていただきたくて、

    ブログを開設しました。

     

    公文書館ってどんなところなの?

    どこにあるの?

    なにがあるの?

    どんなことしてるの?

     

    そんな疑問にお答えしながら、福岡共同公文書館の日々をお伝えしていきます。

    もし、これを読んで公文書館にちょっとでも興味をもっていただけたら、

    どうぞ 現地へお越しください。

     

    「え、勝手に入っていいんですか?」

    「ちょっと入りにくいんですけど」

     

    と、よく言われます。

    安心してください、入れますよ!

    ・・・・・。

    もちろん、入館は無料です。

     

    職員一同、笑顔でお待ちしております!                よく見ると意外にかわいい。(公文書館外観)

     

     

     

    福岡共同公文書館
    所在地 〒818-0041 福岡県筑紫野市上古賀1-3-1 アクセスマップはこちら 電話 092-919-6166 FAX 092-919-6168 E-Mail kobunsyokan@pref.fukuoka.lg.jp
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